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2014年01月27日
吉野川の洪水遺跡をめぐりました
○平成26年1月27日(月)に徳島河川国道事務所職員を対象として「吉野川歴史探訪」を実施しました。
○吉野川は昔から洪水を繰り返す暴れ川であり、その爪痕が洪水遺跡として吉野川流域の至る所に存在しています。「吉野川探訪」は、職員がそれらの洪水遺跡をめぐり、吉野川の治水の変遷や当時の状況を我が身で感じることで、今後の河川管理に役立てるという目的のもと実施するものです。
○今回の吉野川歴史探訪では、うつむき地蔵、第十堰、蔵珠院、田中家、印石、郡境石、善入寺島、大正元年洪水の石柱、岩津の石灯籠、デ・レーケ堰堤の10箇所をめぐることができました。道中には同行した事務所長から今回の探訪の基礎知識として、藩政期から現在に至る吉野川の治水の歩みについての講義がありました。
○国府町の蔵珠院では、住職に御協力いただき、慶応2年(1866)の大洪水「寅の大水」の痕跡を見せていただきました。また、貴重な当時の文献についてもお話しを伺い、それによると阿波の国で37,020人の死者が出たそうです。それを物語るように、痕跡である茶室の壁には今でもくっきりと浸水の痕跡が残っています。また、後にこの恐ろしさを伝えようと建てられた浸水位を刻む標柱は、男性でも手が届かないほど高い位置まで洪水が押し寄せてきたことを伝えてくれました。
当時の住職が記した貴重な文献
浸水した位置で壁の色が濃くなっている
痕跡を示す標柱。地上から約2m60cmの位置に当時の水位が刻まれている
○また、田中家では御当主に洪水に対する様々な工夫がつまった田中家内を案内いただきました。軒下には舟が吊されており、これは洪水時の救助船だそうです。救助船で助けられた人は茅葺き屋根の上に避難し、洪水が屋根までくると屋根ごと浮き上がって舟の代わりとして避難します。また、紙一枚入らないほど緻密に積み上げられた石垣は、防波堤の役割を担っています。北西寄り(吉野川の上流側)を高く頑丈にしてあり、迫る洪水をうまくいなす角度も考えられているそうです。この石垣は地面の下約1mの深さから積み上げられており、もし洪水で地面が流されても家が崩れない工夫もなされています。この他にも同時の暮らしを知ることができる貴重な部屋や道具等も見せていただきました。
ここまで様々な工夫がなされた田中家を見て、当時の人がどれほど洪水に対して危機意識を持ち、備えていたかを知ることができました。
軒下に吊された舟
屋根が浮き上がり舟の代わりになる
手前ほど高く積まれている石垣
※赤線に沿って段になっている
○今回の吉野川歴史探訪を終えて、洪水と人との闘いが過去に繰り返されてきたことを肌身で感じることができました。現在の私たちの暮らしも、先人達が歴史を伝え、洪水に打ち克つ努力を惜しまなかったからこそ成り立っているのだと思います。先人達の想いを受け継ぎ、これからもより安心・安全な徳島となるよう河川事業を推進して参ります。
○今回めぐった洪水遺跡については、当事務所ホームページで詳しくご紹介しておりますので、下記URLより是非ご覧下さい。
■徳島河川国道事務所ホームページ ガイドブック吉野川歴史探訪
http://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/river/profile/tanbou/tanbou-top.htm
○その他の箇所
国府町東黒田の高地蔵(うつむき地蔵)
第十堰
堤防をめぐる騒乱を伝える印石(産神社)
善入寺島 ※赤線内