多核・共生型政策がひらく明日の西日本
明治以前の舟運が主要な交通であった時代まで、瀬戸内海は非常に重要な交通路であり、その瀬戸内海を介して西日本全体は一体でした。そして、豊かな自然に育まれた個性豊かな都市や農山漁村は、各地で輝きを放っていました。しかし、高度成長期まで順調であった本地域の産業は、現在台頭するアジア諸国との競争において極めて厳しい状況の下におかれており、本四三橋等の新たな交流基盤の整備を活かし、再び西日本を一体化するような交流圏を形成し、競争力を高めることが必要になってきています。
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