石手川ダム 国土交通省松山河川国道事務所
更新情報  
ダムの概要洪水調節利水補給水源地域ビジョン写真集
石手川ダムトップ> 石手寺



公園

公共施設など

天然資源

熊野山 虚空蔵院 石手寺(くまのさん こくうぞういん いしてじ)

仁王門

■仁王門

三重塔

■三重塔

 
本堂

■本堂

寺伝によれば、伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が聖武天皇の勅願により神亀5年(728年)に創建し、翌年、行基開眼の薬師如来を本尊として祀った。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)弘法大師空海が訪れ、真言宗に改めたという。その後、寺院名も石手寺に改名された。
四国八十八箇所の第五十一番礼所。

仁王門(におうもん)
  国宝。文保2年(1318年)の建立。雄壮な鎌倉期建築の特徴がよく現れている。門内に安置する金剛力士像は鎌倉時代の作で愛媛県の有形文化財に指定(寺伝では運慶一門の作というが実際の作者は不明)。
本堂 本瓦葦き、正面側面とも五間、単層入母屋(たんそういりもや)造りの仏堂。鎌倉末期。国指定の重要文化財。
三重塔(さんじゅうのとう)
  国指定の重要文化財。三間三重塔婆、高さは25m。 各重とも円柱上に和様三手先の組物を置き、軒は各層とも二軒(ふたのき)、平行繁垂木(しげだるき)。中備(なかぞなえ)にはそれぞれ間斗束(けんとづか)を備えるが、初重のみは斗があって束(つか)を欠く。初重には切目縁(きりめえん)を、二・三重には縁・組高欄をめぐらせる。棟から中天に伸びて九輪・水煙を支える心柱は、降って三・二重の中心を貫通し、初重の四天柱の頂部に架けられた梁で受けられる。心柱が心礎石に達しないこの構造は平安時代末期に始まり、鎌倉時代の塔に多く用いられた手法である。
訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)
  訶梨帝母尊(鬼子母神)を祀る堂。鎌倉末期。妊婦は堂周りの石を持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返すという風習がある。国指定の重要文化財。
大師堂(だいしどう)
  弘法大師像が安置されている。かつては壁に正岡子規、夏目漱石ら多くの文化人の落書きが記されており、「落書堂」とも呼ばれていたが、第二次大戦中に壁を塗りなおしてしまった。

道後温泉の温泉街から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことの多い寺院。遍路の元祖とされる衛門三郎(えもんさぶろう)の転生物語ゆかりの寺として知られる。