四国・愛媛県最大の河川 肱川流域で人と水を見守り続けています。

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野村ダムの誕生

肱川は昔から大雨が降るたびに川が氾濫して災害を繰り返してきましたが、なかでも昭和18年と20年には、大洲地点での最大流量が5,000m3/s にもおよぶ大洪水に見舞われ、沿川住民は壊滅的な被害を受けました。そこで建設省(現:国土交通省)では昭和19年から洪水を防ぐために堤防や護岸をつくる工事を開始しました。そして昭和34年には鹿野川ダムが完成し、これにより洪水の被害は以前に比べると減ったものの 、まだ充分とはいえませんでした。一方、宇和島市、八幡浜市などの南予地区海岸部は、山が海にせまっており、平野の少ない地形で、大きな河川もないため、 毎年のように水不足に悩まされていました。なかでも昭和42年に西日本を襲った大干ばつは、90日間雨らしい雨はなく、農作物の被害総額は250億円にの ぼりました。そこで、肱川上流に洪水調節と利水補給を目的とする野村ダムを建設したもので、この総事業費は286億円で、昭和48年度に工事を開始し、昭和57年3月に完成しました。

 

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