山鳥坂ダムブログ

東日本大震災から5年〜震災ボランティアの報告〜

平成28年3月11日

調査設計課の大野です。


2011年3月11日に発生した東日本大震災から、今日で5年の月日が経ちました。


15,894名の方が亡くなられ、今もなお2,562名の方の行方がわかっていないそうです。

(平成28年2月10日、警察庁発表) お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、 行方不明の方々が一日も早く見つかりますようお祈り申し上げます。


少し前にはなりますが、昨年9月に岩手県へ行ったときの話をしたいと思います。


東北地方へ行ったのはこれが初めてでした。

今回は旅行ではなく、「震災ボランティア」に参加するために岩手県を訪れました。

(宮古市田老町役場)

着実に進んでいる復興もまだ完全ではなく、どこもかしこも工事中で、本当にここに津波が押し寄せてきたんだなと、身震いしたのを覚えています。


実際に自分の足でその地に立ち、自分の目で見た光景はテレビや新聞とは違い、鼻で感じる匂い、肌で感じる空気、すれ違う人々すべてが折り重なり、私はものすごいインパクトを受けました。


宮古市の田老という地区には、「万里の長城」と呼ばれていた巨大な防潮堤がありました。

出典:学ぶ防災(岩手県宮古市)

東日本大震災が起こるずっと前から、明治三陸津波、三陸沖津波と災害続きだったこの町にできた救世主でした。

しかし、高さ10m・長さ約2.5kmのこの巨大な防潮堤を、5年前の津波は乗り越えていったそうです。

(被災した田老町の防潮堤)

壊れずに残った防潮堤の上にのぼると、津波が襲ってきた海が見えます。

「湾の外からやってきた津波は、奥に見える山と同じ高さでこの町へやってきた。」 と、実際に被災された観光ガイドの方が話されていました。


高さはなんと38m。


実際に津波が襲ってきた映像も見させていただきました。 「この地に来て見てほしいものだから」と、メディアにも一切公表していないようです。

場所を変えて、鮭が特産品の宮古市内でも、震災の爪痕はまだまだ色濃く残っていました。

(海沿いの公園(津波によって折れ曲がった街灯がそのままになっています))

(地元の高校生が制作した、かつての町の姿を再現したジオラマの一部)

今回参加したのは復興イベントの販売スタッフとしてでした。


イベントでの活動や地域の方々とのふれあいを通して、震災の悲しさをつい忘れてしまうような1日になりました。


まだ完全に復興したとは言えないのかもしれませんが、被災したこの町も、人々もすごく明るく前向きで、逆に励まされてしまいました。


私が今回お手伝いさせてもらったことは本当に小さな小さなことですが、実際に行ってみなければわからない「現実」に触れ、心で感じたことはきっといつまでも忘れることはないと思います。

(浄土ヶ浜(三陸復興国立公園))

(みやこ秋祭りの船山車)

(ブルートレイン日本海(ふれあいらんど岩泉にある宿泊施設))

(絶品のサンマ料理)

(北山崎(断崖絶壁の自然景勝地))

実際に被害に遭うまでは、「自分だけは大丈夫」と思ってしまいがちですが、今回東北地方を訪れることで改めて、災害はいつ起こるかわからないからこそ、常日頃からの備えが必要なんだということを再認識できました。
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