淡路街道は徳島城の鷲の門から商業港として繁栄していた撫養岡崎渡し(鳴門市)に至る、四里(約16キロ)に及ぶ街道で、岡崎からは船で淡路国福良(兵庫県三原郡福良)に到着しました。
だいたい一里(約4キロ)ごとに街道の両側に松が植えられ里程の目印になっていました。また、江戸時代のはじめの記録「阿波国海陸道度之帳」には、行程中、古川渡し(別宮川)、鯛浜渡し(今切川)、馬詰渡し(吉野川)、林崎渡しの四カ所の渡し場が記録されています。