■住吉新田の開発
伊澤亀三郎は、新田開発においても、その名を今に残している。
伊澤亀三郎が、板野郡宮島浦(現在の徳島市川内町)から長原浦(松茂町)にかけての萱原400ヘクタールの広大な湿地を開発しようとしたのは、天明三年(1783)のことである。開発にあたって、亀三郎は大坂商人・袋屋作次郎の資力を仰ぎ、五百両を藩に献上し許可を得ている。
工事は、現在の今切川をはさんで南北に分けて行われた。北側では長原浦と笹木野村の間の萱野を干拓するために、長原浦に大きな堤防をつくった。また南側では、宮島浦の北側に新田を開く計画であった。
ところが、完成したばかりの長原浦の堤防が、翌年の洪水によって跡かたもなくなってしまった。
|

住吉新田碑 吉野川河口右岸(南岸)にあるこんもりした森に守られている。 |
|