1914年6月22日 数ヵ月前、徳島に近い※吉成村に一軒の貧しい農家を訪ねた。迎えられた部屋―いちばん上等の部屋―で私はすぐに、床上1メートル以上のところまで浸水した跡に気づいた。聞いたところでは、その家では、昨年の洪水の際、溺死しないように馬の首を天井につなぎ、馬は何とか助かったという。家族全員2階にあがり、3日3晩そこですごした。そしてその2階から、自分たちの家と同じように半分水に浸った隣家が激流にもまれてぐらぐらしているうちについに崩壊し、あわれな住人たちが溺死するのを目にしたとのこと。
 これは、ポルトガル領事だったモラエスが徳島に移り住んで書き残した日本随想記「徳島の盆踊り」の中の一節です。大正元年洪水の爪痕を目のあたりにし、その凄まじさを証言しています。
                   ※現在の徳島市応神町の吉成のこと。


大正元年洪水は昔話ではない
 『吉野川下流部洪水氾濫危険区域図』は、河川改修の長期的目標としている一年間に150分の1の確率で起こる大雨によって、堤防が決壊した場合の洪水氾濫状況を予測したものです。堤防の破堤は、流域の広範囲に渡って甚大な被害を及ぼすことが予測されています。
 この「150分の1確率洪水」の氾濫浸水のシュミレーションと「大正元年洪水」の浸水痕跡を比べてみると、「大正元年洪水」は、現在の計画規模と同レベルの洪水であったことが推定できます。
 大被害をもたらした「大正元年洪水」がふるさとを襲ってから、時を重ねること86年。その凄まじさを身をもって体験した人達は少なくなっています。しかし、決して昔話で終わらせることはできません。今では母なる川としてふるさとを潤す吉野川も、一夜にして暴れ川と化す可能性をまだまだ秘めているのです。

■吉野川下流部洪水氾濫危険区域図

■「大正元年洪水の痕跡浸水深」と
 「1/150確率洪水のシュミレーションによる氾濫想定浸水深」との比較