「高川原の地蔵」は、風渡る飯尾川に架かる南島橋の北のたもとにありました。
 安政4年(1857)7月29日の八朔水といわれる大洪水がこの地を襲いました。飯尾川の氾濫によって田畑は泥水に浸かり、子供は溺れ死ぬという大惨事。これを痛んだ南島の講中の人達によって、3年後の万延元年(1860)に建立されたたのがこの地蔵です。
 天神高畑街道の分岐点に近く、飯尾川を利用した船輸送の拠点でもあったこの付近は、水陸交通の要衝であると同時に洪水の常襲地帯でもありました。飯尾川は大雨の度に増水して氾濫し、水難事故も後を絶ちませんでした。しかし、この地蔵が建てられてからというもの犠牲者はなく、これはお地蔵さんの霊験だという話が伝えられています。
 平成5年(1993)に行われた飯尾川の改修によって増水の危険も少なくなり、橋の新設によって露座だった地蔵も立派なコンクリート鞘堂に安置されました。旧暦正月24日と夏の7月24日の縁日には、講中の人々によって熱心に祀られています。
◎台座高 2・43m ◎全 高 3・26m