吉野川懇談会 訪問記録

日 時 :2000年9月16日19:00〜20:00
訪問先 :第十堰の撤去、可動堰建設に反対する石井町民の会(以下、町民の会と略称)
場 所 :健生石井病院
参加者
町民の会:樋端事務局長、桑村氏、山根氏、日野氏
懇談会 :岸本検次、倉良重良、中野直行、山地武彦、米崎広行
聞き取りについて
 私たちに話を聞く目的は何か。ここで話したことが会の意見として伝えられるとすれば、会員に了解を受けていないので困る。個人的意見を述べることはできるが。
 私たちになぜ話を聞こうとするのか、理由を説明してほしい。
 私たちに意見を聞いて、懇談会でどのように活かすつもりなのか、いろんな意見を集め、整理した上で公開するのか、明確にしてほしい。

  1. 団体の考え方やこれまでの活動について
     以前懇談会についての呼びかけが建設省からあったとき、「参加にやぶさかとしない」と総会で決めた。但し、会の目的や権限が不明で、建設省の方針を議論するというのでは不参加とし、建設省に申し出た。以後、建設省からは何の回答もなく、懇談会には参加せず、今日まで来ている。
     もし、本当に大洪水の危機が迫っているなら、命や財産を守る処置を講ずる必要がある。同時に、我々はこの地にながく住んできて吉野川の自然環境の悪化をよく知っており、これ以上の環境悪化はくい止めるべきだと思っている。
     第十堰について勉強をしてきた。一つは、可動堰が危険を回避する唯一の方法なのかという問題がある。次に、建設省がいう大洪水が19,000トンに相当するものかどうかの疑問がある。3つ目として、可動堰のコストが納得できるものなのか、効果対費用の問題がある。4番目は、自然に及ぼす影響が、可動堰ではかなり大きいという疑問がある。これらについて、地元説明会などで質問したが、まともな回答は得られなかった。パンフレットなどにも、意見を求めているので書いて送ったが梨のつぶて、建設省に対する不信感が高まった。
     建設省はやるべきことをやらなければならない。もしやらないのなら、責任をとってもらう。これが私たちの運動方針である。
  2. 共通のテーブルで話し合いについて
     危険に対処するのは当然であり、話し合いをすることにやぶさかではない。
     これは政策、つまり行政の方針の問題であり、政策決定に住民がどう関わるかの問題である。第十堰が前例になるなら、今後の行政の方針に及ぼす影響は大きく、重大な問題である。そのことに、一団体がどう関わるかということではない。意見を述べる機会が与えられるなら出るということである。
  3. 話し合いの障害
     話し合うための障害の一つとして、建設省の不誠実さがある。建設省に対して、不誠実という印象を抱いている。住民無視は許し難いと怒りを感じている。政府三党の白紙勧告の意味は重要である。一昨日(9/14)の徳島新聞で大平所長が「建設省は第十堰の改築を必要と考えている」といっていた。改築というのは、既存を壊し、新しいものをつくることで、これは白紙とはちがう。政府の決定に矛盾した見解である。
     また、以前、県にある質問をしたところ、建設省に聞けとの回答があった。建設省に聞いたところ、何の返事もない。梨のつぶてだった。
     建設省の地元説明会では、「明日にも大洪水がくる」という。それなら、危ないところは修理すべきなのに、何もしていない。吉野川で堤防がきれると建設省はいうが、それに対して何も手を打っていないのは許し難いことである。
  4. テーブルにつくための条件
     新河川法で住民の理解、納得が不可欠となった。どう参加するか、今から検討したい。
     建設省の責任を明確にしないで、堰の議論はあり得ない。建設省は情報公開すべきだし、質問にも答えるべきだ。科学的裏付けがないところで、議論すべきではない。
  5. スタートライン
     可動堰に反対・賛成以前のベーシックな問題、つまり、科学的議論を一から始めることが重要であり、可動堰の是非はずっと後の問題である。
     第十堰問題について話し合うための出発点は、堰問題を議論する前の段階に立ち返るということ、それがきっちりと認識されないといけない。
     必要性について議論すること、それが白紙の意味だ。しかし、大平所長は堰の改築は必要と言っている。私たちの考え、問題意識とレベルが違うと思っている。先の新聞記事を訂正していないので、それが公式発言と考えている。
  6. テーブルの構成や運営方法について
     参加のあり方、仕組みづくりの議論が大事である。
  7. 市民参加、合意形成の仕組み
     いかにして住民の合意形成のための仕組みをつくるかを考えていきたい。それが不要とは思っていない。問題は実効性のある住民参加のあり方の仕組みを考える議論をすることである。町民の会でも議論しなければならないが、提案を出すには至っていない。
     建設省が行政責任を負うのは明確なことで、それにどう市民が参加するのか、建設省の下部機関では審議委員会と同じことになり、独立した機能をどうつくるのかが重要だ。
     合意形成のための組織づくり、構成メンバーの選考も難しいと思っている。大いに議論すべきことである。
     住民参加の仕組みづくりについて、外国の事例などを学習していきたい。第十堰を可動堰の問題に矮小化したのが問題であった。洪水の予防や大水予測など、ベースとなる問題の議論が重要で、「これかあれか」ではない。とにかく勉強することだ。
  8. 懇談会や中間提言に対する意見
     懇談会は私たちの意見が無視されてできた団体であり、受け入れがたい存在である。呼びかけがあったとき見解を送ったが、無視された。認めるわけにはいかない団体であり、本来なら見解を述べる義理もない。
     懇談会は建設省がスポンサーであり、建設省の意見かなと思って、中間提言を見ている。新河川法に則って、建設省が懇談会のメンバーを利用しているのではないかと思っている。
    中間提言でいろんな意見が出ていることは認識したが、懇談会にどうこう言うつもりはない。
  9. その他
     建設省は我々の疑問に答えなければならない。不誠実だ。具体的には、可動堰計画で想定されている水の量。公表されている情報では、3000トンほど計算が合わない。どこにどんなダムを造り、それを処理しようというのか。

以上
文責:団体
団体名の公表について:公開してもよい