■参考資料2:成田空港問題(隅谷調査団/シンポジウムから円卓会議へ) |
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成田空港問題は、「地域振興連絡協議会」の働きかけにより、隅谷三喜男東大名誉教授を団長とする5名の学識経験者(隅谷調査団)の主宰のもとにシンポジウム(15回)が行われ、その後、引き続き「隅谷調査団」による円卓会議(12回)を経て長い対立に終止符が打たれた。 |
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シンポジウムの役割は、成田空港問題の歴史的経緯にさかのぼってその事実関係を明らかにし、特に計画を推進する国の側に、民主主義の原則に照らして問題がなかったかどうかを検証することにあった。これに対し、円卓会議の目的は、シンポジウムの結論に従って国が土地収用裁決申請を取下げ、未完成の滑走路計画を白紙に戻した経過を踏まえて、地域と空港との共生のあるべき姿とは何かを討議することにあった。 |
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「対立の解消」の取り組みを経て、次の「共生の議論」に移るというプロセスが重要と思われる。 |
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当事者ではなく第三者としての「隅谷調査団」が会議の運営と調停の役割を果たした。各種審議委員会は、事業者が作成した原案の良否を判断したり、諮問事項に対する答申を行うことが主であるが、「隅谷調査団」は、それとは全く性格がちがう。会議の運営、調停、裁定という、大きな役割を果たしている。 |
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これは、特殊な性格といえるが、しかし、第三者機関が会議の運営をする、あるいは、第三者機関が当事者間の調停を行うという方法は大事である(アメリカでは、会議の運営と調停は別の機関が行うことが多い)。 |
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政府見解をまとめる際に、別途「懇談会」を設け、そこで外部の意見を聞いて見解をまとめるという方法をとっている(隅谷委員長の要請により、航空局長が設けた懇談会)。行政の論理や言葉ではなく、誰もが理解しやすい、また納得できる説明が求められており、こうしたやり方は注目される。 |
(1)対立から話合いにいたる経緯 |
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国・空港公団と反対派の関係は、開港前後までの力による対決の時代から両者が話し合いの場についた成田空港問題シンポジウム(平成3年11月〜平成5年5月、計15回開催)の時代、同シンポジウムの結論を受けて空港と地域の共生のあり方を話し合い、平和的な解決を目指した円卓会議の3つの時期に分類される。
話し合いの機運が出てきたのは平成2年以降のことで、成田空港問題シンポジウムの開催は立場の異なる人々が初めて一堂に会した画期的な場として注目を集めた。
シンポジウムでの合意(第2期工事計画は白紙に戻すなど)を受けて、話し合いの第2ステージともいうべき円卓会議が平成5年9月にスタートし、第12回目の最終回で隅谷調査団の所見を参加者全員が受け入れたことで、長年にわたる対立構造に終止符が打たれることになった。 |
(2)話合いの気運 /地域振興連絡協議会の発足 |
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平成2年1月江藤運輸大臣(当時)と反対同盟熱田派の農民との間で対話が行われ、それをきっかけに成田空港問題の話し合い解決の機運が高まった。公開討論により成田空港問題の解決の道を探るため、地域の有志を中心として地域振興連絡協議会が発足し、その呼びかけによりシンポジウム開催の動きが始まった。 |
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地域振興連絡協議会/設立趣意書 |
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(略)・・私たちは、北総台地の振興を図る上で、成田空港問題は避けて通れない課題であるとの認識の元に、本日、地元有志が集まって地域振興連絡協議会(仮称)設立のための準傭会を発足させました。早急に地元関係者による協議会を設立して、協議会のもとで成田空港の間題に関して広く意見を出し合う場を設け、空港問題の解決を図るよう努めることにより、未来に開かれた活力ある豊かな郷土の振興に寄与することといたしました。・・(略)
これに対して、千葉県知事、運輸大臣は積極的協カの意向を示した。地域振興を旗印とした協議会を組織し、まず根本的な問題である成田空港をめぐる話し合いの場を作ろうとした。この段階では反対同盟熱田派にも声はかけていなかった。地域振興連絡協議会の設立総会に出席したのは村山教授、千葉県中野副知事、成田市長をはじめ、富里・大栄・下総・多古・横芝・芝山等の各町長、それに二、三の町議会代表、商工会の代表者らであり、「椎の木むら」代表も二人加わっていた。 |
(3)シンポジウムの目的:歴史的経緯の検証/対立の解消 |
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シンポジウムは、隅谷三喜男東大名誉教授を団長とする5名の学識経験者(隅谷調査団)の主宰のもと、運輸省、公団、千葉県、反対同盟(熱田派)が参加し、平成5年5月まで15回にわたり成田空港問題の歴史的経緯等について討論を行った結果、隅谷調査団から次の3項目を主たる内容とする所見が示された。 |
(1) |
成田空港問題における長期にわたる力による対決に終止符を打つため、国側は土地収用裁決申請を取り下げることとされたい。 |
(2) |
過去における成田空港建設の経緯の反省の上に立って、国は2期工事B・C滑走路の建設計画について白紙の状態に戻し、地域の人々と話し合いをすることにより解決の道を探ることとされたい。 |
(3) |
上記(1)、(2)の提案の実現により、広く地域住民が初めて国と対等の立場で、地域における空港のあり方等について話し合いができることとなり、国、千葉県、関係自治体及び広く住民の参加する「新しい場」が設けられ、話し合いが進められることを期待する。
なお、この場には、従来シンポジウムに参加していない農民の参加と意見表明がなされるよう期待している。また、調査団もこうした人たちとの話し合いの場を設ける用意がある。 |
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シンポジウムは当初、地域振興連絡協議会主催が考えられていたが、反対同盟側に批判があることをふまえ、「隅谷調査団」が主催することとなった。 |
(4)空港と地域の共生の道を話合う「新しい場」:円卓会議 |
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成田空港問題シンポジウムでの関係者の合意に基づき、空港と地域の共生のあり方やその仕組みについて国・公団、千葉県、反対同盟、三郡代表、地元民間代表、住民代表が相互に対等の立場で、円卓を囲んでその考え方を述べ、アイデアを出し、空港と地域との共生の道を話し合う場として「成田空港問題円卓会議」が開催されることになった。
円卓会議は、隅谷調査団主宰のもと、平成5年9月20日から12回にわたり開催された。 |
(5)円卓会議の目的:地域と空港の強制のあり方を話し合う |
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関係のある各方面を代表する人々が構成員となり、お互いに対等の立場で円卓を囲むことから、円卓会議と呼ぶこととなった。「隅谷調査団」は、シンポジウムの議論の総仕上げという立場から、引続きその運営の責任を引受けることとなった。
シンポジウムの役割は、成田空港問題の歴史的経緯にさかのぼってその事実関係を明らかにし、特に計画を推進する国の側に、民主主義の原則に照らして問題がなかったかどうかを検証することにあった。これに対し、円卓会議の目的は、シンポジウムの結論に従って国が土地収用裁決申請を取下げ、未完成の滑走路計画を白紙に戻した経過を踏まえて、地域と空港との共生のあるべき姿とは何かを討議することにあった。 |
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平成五年二一月九日に開催された第三回成田空港問題円卓会議において、今後の進め方として、国が、空港と地域との共生に関する基本的なものの考え方をまとめ、これを円卓会議に提出して議論することとされた。このため、航空局長のもとに「空港と地域との共生のあり方についての懇談会」を設け、地域計画、環境問題・農業政策に関する学識経験者の参加を得て、運輸省としてこの問題の検討を行った。 |
(6)ポイント |
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政府見解(平和的解決=強制収用しない)が前提。 |
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地域振興連絡協議会がシンポジウムへの参加の呼びかけと調整。 |
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中立の学識者による「調査団」の設置。 |
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調査団は、シンポジウムの主催者として会議を運営する。 |
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調査団は、過去の経緯に対する裁定や対立的課題に関する調停を行う。 |
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シンポジウムは過去の問題の整理と対立構造の解消が主なテーマ |
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シンポジウムを経て円卓会議(調査団が継続して主宰) |
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円卓会議のテーマは、拡張計画(B、C滑走路)の取り扱いを軸に議論 |
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円卓会議メンバーは、関係自治体や中立的市民団体などにも拡大 |
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政府見解をまとめる際に、別途「懇談会」を設け、そこで検討したものを円卓会議で表明するという方法をとった。行政の考え方を整理する際に、社会的チェックを受けるというやり方は重要と思われる。 |
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調査団の最終所見をもって合意。次の「共生」をテーマにした懇談会設置(成田空港地域共生委員会)を確認 |