三橋が築く新世紀の交流圏 西日本が一体となった広域交流圏の創造へ 平成11年10月作成
平成11年5月、本州と四国を結ぶ3本目の橋が開通しました。 「離島」であった四国と近畿、中国地方がひとつとなる「本四三橋時代」の始まりです。 しかし、橋の完成はゴールではなく、「西日本広域交流圏」を創るための新たなスタートなのです。
こうした交流や移動の活発化によって、本州・四国間の交通量は着実に増加しています。平成10年度の車の通行量は瀬戸中央自動車道開通前の昭和62年度の約2倍を記録しました。
近畿、中国、四国地方の自治体、行政機関などで構成される「本州四国連絡道路関連調整会議」(平成11年10月29日)は「西日本広域交流圏創造宣言」を採択し、西日本が一体となった広域交流圏を創造するために関係機関が一致協力して取り組むことを表明しました。