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三橋が築く新世紀の交流圏
西日本が一体となった広域交流圏の創造へ
平成11年10月作成

平成11年5月、本州と四国を結ぶ3本目の橋が開通しました。
「離島」であった四国と近畿、中国地方がひとつとなる「本四三橋時代」の始まりです。
しかし、橋の完成はゴールではなく、「西日本広域交流圏」を創るための新たなスタートなのです。

西瀬戸自動車道
(瀬戸内しまなみ海道)
瀬戸中央自動車道
神戸淡路鳴戸自動車道
「しまなみ海道」が完成して本四三橋時代の幕あけ
 平成11年5月、本州と四国をつなぐ連絡橋の尾道・今治ルート(西瀬戸自動車道、愛称は「瀬戸内しまなみ海道」)が開通しました。昭和63年に開通した児島・坂出ルート(瀬戸中央自動車道)及び平成10年に開通した神戸・鳴門ルート(神戸淡路鳴門自動車道)を合わせて、本州と四国は3本の橋で結ばれたことになります。
 瀬戸内海をはさんで対岸にあった町や島々が橋で結ばれ、往来が容易になり、時間も短縮され、結びつきや交流もこれまで以上に強くなっています。
交通量は約2倍に増加
高度医療サービス圏も拡大
 この地域の移動時間は、「三橋」によって大幅に短縮されました。
 日本海に面した鳥取県米子市から高知県高知市まで行くには、昭和60年には車では約9時間が必要でした。それが現在では、米子自動車道や連絡橋などを利用すると4時間で到着することができます。
 「三橋」は、地域の人々の健康や安全にも心強いものになっています。
 瀬戸内海の島の病院、診療所から、近畿地方や四国の大規模で設備の整った専門性の高い病院への搬送が容易になり、高度医療サービス圏が確実に拡大しているのです。
 大ケガや重い病気の患者さんを搬送する場合、所要時間が長ければそれだけ危険性が高まります。
 搬送の時間を短縮しただけでなく、天候などに左右されずいつでも利用できること、遠い病院にも搬送できるようになったことなど、連絡橋は地域の人々の健康と安全に大きく貢献しています。

 こうした交流や移動の活発化によって、本州・四国間の交通量は着実に増加しています。平成10年度の車の通行量は瀬戸中央自動車道開通前の昭和62年度の約2倍を記録しました。

瀬戸内海を囲んだ交流から西日本を舞台とした交流へ
 このように、瀬戸内海により隔てられていた四国と本州は本四三橋の開通により一体となり、瀬戸内海を囲んだ交流圏が形成されています。
 今後は地域の個性・特性を生かした地域づくりを進めるとともに、高速道路ネットワークを活用し、地域間の交流促進や連携強化に取り組むことが一層重要となります。
 同時に、これを一つの大きな節目として、今後さらなる発展を遂げるため、「瀬戸内海を囲んだ地域間の交流」から「西日本全体を舞台とした交流」を創造することが求められています。

 近畿、中国、四国地方の自治体、行政機関などで構成される「本州四国連絡道路関連調整会議」(平成11年10月29日)は「西日本広域交流圏創造宣言」を採択し、西日本が一体となった広域交流圏を創造するために関係機関が一致協力して取り組むことを表明しました。

 急がれる道路のネットワークづくり
 道路はネットワーク化されてはじめて有効に活用されます。本四三橋も、関連する道路のネットワークが完成して、その整備効果がさらに大きく広がります。
 また、「西日本広域交流圏」の創造にも道路のネットワークづくりが不可欠です。
 しかし、現状はまだまだ不十分であり、早急な道路のネットワークづくりが求められています。
「西日本広域交流圏創造宣言」


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