タイトル
昭和20年の洪水、昭和51年の洪水
紹介日
洪水体験集より
投稿者
横田民次郎さん
(昭和20年の洪水)
私は第十堰の上流約300mの石井町藍畑字西覚円に住んでいる。昭和20年9月の大洪水では、高瀬の潜水橋で吉野川の堤防の1m下まで水位が来た。堤外の田畑や家屋も水浸しになり、低地の田畑は大人の身長よりも深いところが多くなり、高瀬の潜水橋の登坂道路では幅30cm、長さ 100m位の亀裂ができ、堤防が大きく揺れて決壊寸前になった。当時、私は14歳だったが、その時の恐怖については50年以上過ぎた今日でも、頭の中に思い浮かんでくる。
(昭和51年の洪水)
昭和51年にも大水が来た。このあたりでは固定堰は絶対に要らない。しかし、堰をなくすわけにはいかないので可動堰にしてもらいたい。そうすれば、洪水の水位は3m位下がるのではないかと思う。
高瀬の潜水橋
一家6名家に跨がり漂流 荒波切る警防団員に3名救はる
(徳島県公報第38号、昭和20年9月19日)
18日午前1時頃、板野郡応神町吉野川橋上流5町の川中を、折柄の出水に家に乗って漂流する数名が頻りに救助を求めてをるのを、同村警防団分団長の江西實太郎ほか2名が発見し、直ちに漁船を仕立て荒波を押し切ってこれら漂流者を無事救助した。救われた人々は美馬郡穴吹町〜略〜の3名で、同夜家屋が浸水し家に乗ったまま吉野川本流に押し流され、当初〜略〜も共に乗ってゐたが行方不明となった。