吉野川歴史情報館
 
思 タイトル 昭和29年の台風
紹介日 洪水体験集より
投稿者 西岡隆茂さん

(昭和29年の台風)
 昭和29年当時、私は板野町に住んでいて、上板町の西分に勤めていた。水害で休んでいたところ、朝勤め先から電話がかかってきた。大山の農協近くの水防倉庫から水防資材を積んで六条の橋付近まで三輪トラックで運ぶように言われた。自動車の幅は5尺くらいで、かます50位、縄3、4束、それに杭20本を積むといっぱいになった。道には80〜90cm水がのっていた。水深が30〜40cmと比較的浅い岡宮、下庄を通って第十堰樋門にたどり着いた。自動車のステップにのるくらいまで水が来ていた。旧吉野川の堤防でも30〜40cm水がのっていた。ブレーキはかからなかった。いつもなら40分で行けるところを2時間もかかった。
 水は土手(吉野川の堤防)から80〜90cm位のところまできていた。風が強い時には波が堤防を越えることもあった。堤防はヘビのようにうねっていた。車は堤防の真ん中を通っていても、端に寄ってしまった。南西の風が強く吹き雨も強かった。その時には南岸の水位は堤防の半分位だったように思う。
 高瀬と六条の橋の間では、草屋の家が堤防よりも高いところを流れているのを見かけた。六条の橋付近の堤防のすそには直径1mほどの穴ができていて、水が噴きだしていた。堤防には12、3人が蓑笠を着て水防活動をしていた。2.5mほどの杭を入れたが、スポッと入った。水防活動をしていた人は、遠方から応援に来ていた人だった。近くの人は水浸しで堤防に上がることができなかった。自分の家を守るのが精一杯だった。1時間ほど堤防にいたが、堤防が切れるから「早くいね」と言われて引き上げた。