タイトル
慶応2年の寅の水
紹介日
洪水体験集より
投稿者
武市松恵さん
(慶応2年の寅の水)
寅の年の大水では水が倉の板の間にまで上がったと、祖母から聞かされた。周りの田んぼから約3mの高さにもなる。
慶応2年の寅の水(「四国三郎物語」より)
記録によれば、七月末から降り始めた霖雨は、次第に大雨となって、八月二日、三日には鵜の毛を散らすような細雨、五日の夜から六日の夜まで沛然と降りしきり、つづく七日の夕方には古来まれな大水となった。連日連夜の豪雨により吉野川の水量は膨れ上がり、土地の高いところでも床上二、三尺(約六〇〜九〇センチ)、低いところでは天井に達するほどの浸水であった。田畑は荒らされ、家や牛馬が多数流された。避難民は舟に乗り移ったが、四方海のごとく生死のほども知れず、ところどころに救助を求める声が哀れであったとある。
蔵珠院に残されている痕跡
徳島市国府町