タイトル
大正元年の大水
紹介日
洪水体験集より
投稿者
市橋潔さん
(大正元年の大水)
私は大正9年生まれで、父親(明治28年生まれ)から大正元年の大水の話を聞かされた。
堀江南小学校前の堤防が切れて、小学校の講堂が大麻町松村の観音さんの所まで流されたそうだ。この時には、馬詰橋のたもとにある家から100m程東の堤防も切れたという。
家の門のかもいの高さ(約2m)まで水が来て、家の床まで水が上がった。以前の納屋の内壁にはその痕跡が残っていたが、5,6年前に建て替えたので痕跡はもうない。
水は家の門のかもいの高さ(2m)まで来た
大正元年洪水の様子は「江南教育百年」に以下のように記載されている。
大正元年9月降続く大雨に吉野川大洪水となる。俗にいう大正元年の大水となる。学校東隣接の堤防決潰し、濁流校地を奔流、無惨にも講堂流失、教室2棟倒潰し各種校具、教材を流失飛散し、市場、篠原角蔵氏(当時村長)の蚕室を仮教場に当てる。