大地にしっかと立ち、吉野川を背景に微笑みを浮かべて私達を見下ろす高地蔵、今はただひっそりと野路にたたずむ高地蔵…。点在する高地蔵は、その数二百体から三百体。万物一切を包みこむ地蔵菩薩は、充分な堤防が無く幾度もの洪水に見舞われた江戸中期に、中下流域で特に数多く建立されました。銘文は「三界萬霊」が特に多く無縁仏を供養するという信仰に基づくものであり、暴れ川に苦しめられ、水害から逃れたい、救われたいという強い願いを抱いた民衆たちにとって、高地蔵は、かけがえのない信仰の対象であったことでしょう。
 他に類を見ない高さの台座には訳があります。『お地蔵さんが水に浸かったり流されたりしては申し訳ない』。民衆たちの信仰心が、台座を高くしました。最も高いもので四メートル強。城構えの家が、人の暮らしを守るために生まれた“暮らしの知恵”ならば、高地蔵の台座は、地蔵を守るために生まれた民衆たちの“心の知恵”なのです。
 そして、台座の高い地蔵が建つ場所ほど洪水被害は大きく、民衆の願いもまた大きかったと言えます。そこには今も絶えることなく、赤いよだれかけや美しい花、たくさんの供物を見ることができます。人々は皆、知っているのかもしれません。暴れ川の歴史は、これからも途絶えることなく連綿と続いてゆくことを。
 高地蔵の高さの由縁は、民衆の願いにあり。暴れ川を見守り続けた高地蔵を高いものから十六体順に巡っていきます。