●堤防を背にたたずむ愛宕(あたご)地蔵

 徳島平野をゆるやかに流れ下る四国三郎吉野川。その壮大な流れは悠久の歳月をかけて肥沃な大地を育み、時に暴れ川となって猛威をふるいました。流域に生きた先人達にとって、吉野川は、母なる川であると同時に、あらゆるものを奪い去る恐ろしい洪水の元凶となりました。
 堤防がなかった頃、どれだけ多くの人命や財産が、荒れ狂う暴れ川の濁流に飲み込まれていったことでしょう。年中行事のように毎年襲ってくる洪水を前に、人々はなす術もなく嘆くばかりでした。
 吉野川の中下流域の低平地は、特に洪水災害が甚大だったところです。堤防の傍らで、道の四つ辻で…。中下流域を歩けば、あちらこちらでさまざまな表情のお地蔵さんに出会うことができます。高い台座に鎮座するお地蔵さんは、俗に「高地蔵」と呼ばれて民衆に親しまれてきました。風雨に耐える高地蔵の懐深い表情には、暴れ川に苦しめられた流域民衆の歴史が刻み込まれています。高地蔵は、暴れ川の、民衆の心の、語り部なのです。
 私たちの住んでいる土地は今でも吉野川の氾濫原であることにかわりありません。高地蔵にそっと耳を傾けてみれば…。巨大な堤防を築き、太平楽を謳歌する私たちにも、物言わぬ語り部地蔵の心の声が聞こえてきます。