2001年3月24日 第14回吉野川懇談会資料

■全体討議のまとめ

第1章について 全体討議では特になし
第2章について
  • 佐野塚・第十堰を考える会:2月9日
  • 市民アセスの会(石井氏):2月13日
  • 第十堰改築促進協議会(竹内氏):2月14日
「佐野塚・第十堰を考える会」を訪問した報告
〈3〉まず可動堰以外の検討、あるいは河川整備計画の検討から始める/手順1の2項「可動堰以外の有効な方策が出そろった段階でそれらを評価し、可動堰方式の取り扱いを検討する」の文言の扱い・・・懇談会として賛否あることを表記
  • 最終提言が提案する総合治水・市民参加検討委員会は、共通の話し合いの席に出てこない反対団体にいかに参加してもらうかという大きな目的があるということで、かわら版の10号の方策1の中に、可動堰以外から検討していって、有効な複数案をつくり、評価のところまで来て初めて、可動堰方式と優劣を競うような書き方はまずいのではないか。評価の上の可動堰方式というところを消したらどうか。勘ぐれば、トーナメント方式で勝ち抜いてきた可動堰以外の案の一番いい案と可動堰方式を比較してみて、それで優劣を争うような見方がとられるのではないか。こういうつまらないところで反対団体が出てこないようになっては、せっかくの最終提言の意味もなくなるのではないか。
  • 可動堰方式というのを一番最後に残してあるが、これは可動堰を絶対につくるということではない。他にいい案が出てきたならば、可動堰案というのは必然的になくなることになる。可動堰に反対している皆さんは、もっといい案があるとおっしゃっているのだから、そのいい案を形の上でわかるようなものを提示すればいい。自分たちがいい案をつくれば、そのいい案のとおりになるわけだから、なぜ可動堰をのけてしまわなくてはならないのかわからない。
  • かわら版の方策1の評価のところで、可動堰方式が出ているこの絵を表現をどうするかですね。消しても問題はないんです。市民意見を集約していくと、そこで可動堰案というのが市民の中からまた出てきて、それも評価の対象になることはあるかもしれない。現実問題として、検討委員会がつくられて、いろんな団体の方の意見とかいろんな意見を提案してもらう委員会になるわけですよね。そのときに、そういう意見を持ち込む人もいるかもしれないですよね。(吉村)
  • 少なくとも市民の側から、13km地点可動堰にかわる可動堰案というのは、今のところ出ていない。いずれにしても、これから市民の方も、どうしたらいいのという案は出さなければいけない。そのときに、まずは可動堰以外の案というのが1つあるということです。(吉村)
  • これだけいたら、いろいろ意見があるのは当たり前。まとまらないのが当たり前だから、メインはメインで書いておいて、このような異論がありますということで、各項目にあっても、おかしくない。無理やりまとめて1つにしようとするところに無理がある。
第3章について 全体討議では特になし
第4章について
第1章(2)/第4章(4)吉野川第十堰建設事業審議委員会の問題の項の扱い・・・事実としての流れを表記し、評価は加えない
  • 審議委員会に関して、当時はそういう状況だったのだから、余り触れないでという意見があったが、それが日本人的なやり方と言えばそうですけれど。(吉村)
  • 今さら審議会のことを書く必要はない。それはそのときの法律に基づいて実行したことであって、全国に十幾つあって、ほかは全部スムーズに済んでいる。ここだけこういうことになっているが、過去のことを今の基準で評価したらいけない。アダムとイブの時代をつかまえて、あんたたち2人は裸になっているから、軽犯罪法違反だと言いますか。3年前と今と基準価値が違うのだから、こういうのは外してもいい。
  • 事実の流れは参考にあってもいい。事実は書いておいて、それをよかったとか悪かったとか、あれはいかんこれはいかんとか、それに対する善悪は書くべきではない。
第4章(5)行政の対応の5項「多くの住民が同意しない事業については実施しない」の文言の扱い・・・削除
  • 多くの住民が同意しない事業は実施しないという表現で入れるかどうか。懇談会が提言したからといって、受けとめて、行政がどういう答えをするかというのは別問題だと思うが、確かに微妙な問題を含んでいると思う。どういう範囲のことで同意している、していないとか、どういう範囲というのは、流域の範囲ですかとか、そういうこともあって、なかなか難しいところがある。この辺をどうしたらいいか?(吉村)
  • 削除した方が今後の運営で問題がなくなるのではないか。というのは、多くの住民とは一体何を言うんだと。人数か比率か、いろんな問題が出る。現実の問題として、半数以上の人が反対すれば、行政としても、それを突破してやろうということはなかなか難しいので、合意形成しないと、これからは公共工事は非常に難しいと思う。そんなことで、しいてもめごとになるような文面は避けるということで、削除した方がいいと思う。
  • たとえもめても、正しいと思うことは通すべきだと思う。もめるから、反対が強いからやめる、これはよくない。反対が強いからやめるというんだったら、反対派が不適当な問題を出してきて、それを通すというようなことになれば、何のために我々がこういう仕事をしているのかわからない。治水、利水のためによいこと、これを中心にして、その物差しがちゃんとなければいけないと思う。
  • 実施しないと言い切ってしまうのは、ちょっと言葉が何かないかなと思う。その下に「多くの住民の納得がいくような合意形成プロセスを重視する」というのがあるから、これでも結構言えている。その上へ、こういう言い切ってしまう言葉が必要なのか?「実施しない」という言葉をもう少し工夫した方がいい。
  • 前回は「実施できない」と書いてある。これは新聞報道ではっきりしないが、竹村河川局長が、住民投票を行うとき、理解が得られていない結果であろうと。そして、多くの人が納得できないものはできないんだと。国土交通省、当時建設省ですが、強行することはできないんですということを言っている。しないというのは、不穏当かもしれないけれども、実態としては、できないということはあるということでしょう。「できない」という表現にしますか。(吉村)。
  • その下に「多くの住民の納得がいくような合意形成プロセスを重視する」という文言があるから、それは削除でいいのではないか。それでなかったら、ごみ問題なんかだったら、その地域の人は全部反対だ。産廃処理なんか一切できなくなってしまう。範囲でも、ものすごく難しいだろうと思う。例えば、第十堰のところで切れるというようなことがあって、被害を受ける人は 200人ぐらい、こっちの方は10万人で、10万人は要らないけれども、そっちの方は要ると。住民といっても、阿南の方だったら、また温度差が違ってくるし、どこまで入れるのかとか。だから、下の文言があるのだから、これはもう削除の方がいいように思う。
  • 例えば、この間住民投票があって、非常にたくさんの人が可動堰に反対という意思表示を示したが、そのことをとらえるならば、住民投票を受けて、可動堰はやめると。徳島市長も、そのように方針転換をした。そういうことを受けて、ここで「多くの住民が同意しない事業については実施しない」という言葉がとられたんだと思う。住民投票の問題から考えれぱ、当然のことだと思う。ただ、事業をするに当たって、ごみ問題では、確かにこの文言では難しいところがある。したがって、ここでこの問題を突き詰めて話し合うのはかなり難しいけれども、言い方としては、多くの住民が同意するような事業を展開するというふうな肯定的な表現でいったらどうかと思う。