2001年3月24日 第14回吉野川懇談会資料

 ■グループ代表者発表のまとめ

グループ1

グループ2

グループ3

グループ4

グループ5
<第2章について>
 総合治水というものが具体的にどんなものかのイメージがわきにくい。どういう内容なのか、もう少し具体的にイメージできるような表現が欲しい。そういう提案と、できるのかなという感想があった。ここで提案をしても、動くのかなという感想、それに対して市民がどう主体的に動くかが大事ではないかという意見がある。
<第3章について>
 いい提案が幾つか出ている。
 意見として、計画段階から市民参加の提案はとてもいいことで、これをやったら他の県のお手本になり、徳島方式になるねということ。決定については、議会制民主主義だから、やはり議会が最後に予算を決めるんだろうけれども、そこに持っていく市民意見の合意形成までが大事であって、徳島の場合、議会が先に決議してしまったというのがよくなかった。議会は、市民の意見を反映して、最後に議会で決めるべきではないかという意見だ。
 (3)については、いろんな情報ということで、徳島の気象、風土みたいなものを、海苔の業者さんとかはよく知っているから、みんなで出し合ったらどうか。また、提案として、楽しいこととか、川でのイベントなど、関心を持ってもらうようなことができるといいねということで、そういうことが盛り込めないか。それに加えて、体験学習がとても大事だと。植林の運動などを通して、流域のことを考えてもらうといったことはとてもいいことだという意見だ。それに加えて、若い人、子供の参加みたいなことを盛り込みたいというのが全員の意見だ。将来のことですから、若い人、子供の参加を通してやっていくと、大人にも伝わっていくんじゃないかと。
 もう1つ、これは少し書いてあるが、市民が気軽に行ける情報センターというのを項目を立てて書きたい。こういう拠点とか場とか、交流というのが具体的に形になっていくような提言を盛り込みたいという意見だ。
行政の課題につきましては、縦割りの問題があるので、これを解消していくような提案が、どこか違う章になるかもしれませんが、書きたい。水の問題についても、農水省、国土交通省、環境省とか、いろいろあるのを県がまとめていくというのが大事ではないか。国の縦で来ているのを県がまとめて、それについて、流域で話ができるようなことが大事という意見である。
<第4章について>
 委員会の構成について、直接利害のある人が集まるべきだという意見があったが、何度もあったように、堂々めぐりになるので、第三者がいいという意見もあった。選定方法は、本当に難しいというのが感想の形で出た。
行政の対応については、一番大事なことから上げていくことが大事ではないかということで、これは一人の方の意見ですが、「多くの住民が同意しない案は」というのが一番大事ではないか。そして、第十堰については、まず可動堰以外の有効な方策を検討するが2番に来るけれども、ここで表現として、「ということを国が表明する」という書き方をすべきではないか。国として表明し、それを受けて、3番が吉野川全体の治水対策を住民参加でという順番ではないかということだ。4章の最後の(5)は、多くの住民の納得がいくような合意形成のプロセスという書き方がちょっと難しいと。平たく言うと、住民に知らせ、一つ一つ確認しながら前に進むということなのかなということで、わかりやすくという意見が出ていた。
<第2章について>
 全体としてはいいことを書いてあるということで了解だが、できるかなというあたりが結構話題になった。
 (7)の中で、特にお互いが協力し合う関係をうまくつくることができるか、大変なことだというのがあった。新町川を守る会では、上下流の関係では恩恵は下流がたくさんを受けているが、上流はどうかと感じていると。早明浦ダムの方のブナ植林にも参加し、水源地域が生き生きと生きられる状態を考えないと総合治水の視点はなかなか手に入れられないのではないかと。
<第3章について>
 全体を見てこういう仕組みを考えていかなくてはいけないが、認識しておくことは、民主主義的な手続を踏んでやっていくことはいいが、すごく時間がかかると。その間に、今まで経験しないような洪水とかが起こったらまずいので、それらの対応も、できるところから進めていかないと、システムをつくるのに時間がかかって、でき上がるころにはまた違う問題が発生して困るのではないか。
 具体的な参加の提案は、川に関する情報の収集と共有に関連して、洪水の体験者等の話を聞くというのがでた。それをもう少し共有できる情報に置きかえていくために、マップ化、ビデオ化するという形をとったらどうか。また、今大きな洪水がないが、アカメヤナギなどが繁茂していて、それにごみがひっかかるような状態が生じた時、それが堰になって水田部分に水が噴き出すことがある。大きな洪水ではなくとも水に対する問題はある。それらも共通の情報として明らかにした方がいいのではないか。
 (4)については徹底してもらった方がいい。役割論は大切だ。
 あとは、堰にこだわらずにいろんなことができるのではないか、個人の力でできることもたくさんあるだろうし、この計画で進めていけばいい。
 それから、上下流の交流は必要だが、今の状況では上下流の関係を理解している人は関係者のほんの一部。それをもっと広げて、理解するような場面が必要ではないか。
具体的な提案では、市民、行政、専門家の役割のあたりに、学校や教育機関と連携するような方向を考えてもらう。子供に着目した展開があるのではないか。長い計画なので、そういう方向で計画づくりをして、参加のプログラムを考えていった方がいいのではないか
<第4章について>
 委員会の構成は、これができる場合のある程度の枠をどうつくるかが話題になった。また枠を示してから展開した方がいいということで、構成の枠、人数とかが挙げられた。反対とか賛成という話の経緯からするとそうだが、第十から全体へという視点に大きくステージが変わると、そういうことについては余りもめないかもしれないので、委員会の構成は割合スムーズにいくのではないか。認識の違いにいい点があるかなということがあった。
 検討委員会設置までのプロセスでは、設置までの世話をだれがするのか、どうすればいいのかということで、1つは、この懇談会のメンバーの有志が、事情がよくわかっていることもあり、お手伝いをしてもいいんじゃないかと。
 審議会については、計画が決まって第十があってなされたものと、今回考えている委員会とは全然視点が違う。審議会に問題はあったが、当時としてはああいうものだと評価して、問題点をどうこういうこともないのでは。
 (5)の「多くの住民が同意しない事業については実施しない」というのは、大変難しいのではないか。そういうことになれば、同意をする住民に対して責任を持ってもらわないといけない。また、同意する範囲も、どの範囲を考えるのか。上下流でやりとりをすると、大きな市町村が得をすることがあるかもしれない。しかも長時間の事業を進める場合、当初の3年ぐらいは同意しているが、途中で気持ちが変わるとか、同意自体が流動的なものではないか。その辺で、もう少し議論をしたらいいのではないか。
<第2章について>
 評価システムのところで、前提として、治水、利水というのが必要だということと、実現性というのを考えた上での評価というのが必要ではないかという意見が出た。
<第3章について>
 市民参加と合意形成のところで、皆さんから出ている意見が多かったというのもあって、いいのではないかという意見が多かったが、パートナーシップとかネットワークという言葉が、何となくわかっているようで、本当にわかっているのかなというのがでた。その言葉が抽象的に聞こえてしまうので、少し具体的にイメージできることが必要ではないか。単なる情報交換みたいなことに終わってしまわないような仕掛けも必要なのではないか。
 それと、将来的に必要と書いてあるが、今すぐ必要なのではないか。
 あと、そういった場合に、行政の支援というのも、役割として出てくるのではないかという話があったが、これについては、行政が支援をすることで反発を感じる人も中にはいたりするので、そのやり方は考える必要があるだろうと。
 また、年齢的な違いがかかわり方の違いに結構出てくるということで、いろんな年齢層の人、子供も含めて、どういう年齢の人がどんなかかわり方ができるかということも1つ考えておく必要があるのではないか。
それと、行政の役割の中に入ると思うが、どこかの市町村が言い出しっぺになって、がんがん進めて、この指とまれという形で、みんなやっていこうというような動きも出ていいのではないだろうか。参加を進める広報活動とか、サポート的なことがいっぱい書いてあるけれども、もっと積極的に行政の責任として動くことも必要ではないかというような意見が出た。
<第4章について>
 検討委員会の設置のプロセスについて、だれが呼びかけて、どう選んでいくのかということが難しいのではないか、それができれば、半分はできたものという意見が出た。呼びかけ人がとても重要なのではないかということで、前回の審議会は、進め方に幾つかわかりづらいことや見えないことがあったから問題になってしまったが、そういうことをきちんとオープンにしていくことで、公正な立場で、やはり県の一番頭になる知事が呼びかけていったらいいのではないか。
 あと、構成の中に入るのかもしれないが、年齢的なバランスとか、男女の比率とか、若い人や女性がいろんな場に少ないのではないか、そんなことも少し意識できたらいいのではないか。
 それと、運営のところに入ってくるかもしれないが、オープンであるのは当然であるということと、そのときの人数とかは、できれば多い方がいい。多いことで、いろんな意見が出て、そこでもまれるのではないか。ただ、そのときに、細かいやり方の話になるが、こういったテーブルで、顔を突き合わせて話ができると、いろんな意見が出せるけれども、大きなテーブルを囲んで話し合いをすると、話がしづらいということがあって、大勢いた方がいいけれども、話し合いの仕方は工夫が必要でしょうという意見があった。
 審議委員会での問題点のところは、こんなことがあったねということで、皆さん納得されている。
 ちょっと戻るが、2章の方で、計画をつくるときに、一気型から複数の対策を積み重ねる段階型へという話があったが、話し合いも、一気に何かを決めるのではなくて、段階型ということが表現されてもいいのではないか。
<第3章について>
 住民の意見をまとめて上げていく流れを左側に書き、右側には情報を共有していく流れを書いた。左側は、市町村がそれぞれに流域ワークショップにつながるような窓口を早くつくり、市民の意見をいつでも気軽に受けとめられるようにする必要があるだろう。ワークショップには、市民と行政の担当者もきちんと出て、議論をしていく。基本的には自由参加だが、結果的には地区の代表者が来るだろう。たくさんの方の意見を集めようとすると、代表者が来ることにならざるを得ない。現実問題として、川に関心のある人が意外と少ないのではないかということもあった。
 ある町では、今までは区単位で川掃除をしていたのが、経費削減のために行政が一括してやることになり、むしろ川離れに通ずるような話もある。市民参加はお金がかかるために、市民がますます川にかかわる機会がなくなってきているので、そういうことに対してどうしたらいいか。流域ワークショップを豊かなものにするには、市民が関心を持ったり知ったりすることが両輪として必要だということで、右側の流れがある。
 昔は、アオノリやシジミをとったり、水泳をしたり、飛び込むのを見物したり、シジミをとるのもただだったし、どこでも遊べたが、現在は、漁業権の関係で、放流などをしていることもあり、お金が必要になっている。あるいは、今の川は水が流れる水路という以上の豊かな意味がだんだん失われてきている。さらに、過保護になったり、禁止事項も多くなって、関心を持てと言っても、持てるような状態がない。それを楽しみながら学ぶことができるようなもの、これまでのイベントはちょっとかたいものが多過ぎるので、そういったものを市民が考えながら展開していく、あるいは今の川の中で、自由に使っていいよという場所を設定して、市民に開放していく。特に子供も遊んでいいよという安全なゾーンをつくる、あるいは遊び場マップなどをつくることで、最初の一歩として、底辺の部分を広げることが大事だよねということが1つある。
もう一方で、川の本当の姿にはマイナスのイメージもあり、そちらの情報もきちんと共有していく必要があるだろう。こういう情報は、集める体制は意外と早くできるのではないかということで、早い段階で始めた方がいいだろうと。そして、それを束ねていく流域全体の上部組織みたいなものも構築していくことが大事だろう。
<第4章について>
 前回も議論の中心になったのだが、中立機関をどうやって選んでいくのかについて、少し議論を深めた。例えば、民意を反映するという今の仕組みでいけば、県議会が委員会のようなものを設置して、その選定をしていく。選ぶ人は色のついていない人ということで、コンサルタントは選んでいくと。もう1つのアイデアとしては、中立機関に対して、それぞれの案を持っている人が多分いるだろう、そういう人たちが直接話し合いをして決めていく必要があるということで、行政と市民が選定委員会を構成して決めていったらどうか。なぜこの部分にこだわるかというと、せっかくいい提言をつくっても、最初の一歩がしるされていないと動き出さないということが気にかかる。選択肢を幾つか提示しておくだけでもいいのかもしれないが、一言言っておく必要があるのではないか。
 もう一方、中立機関について、条件設定を我々の方できちんとすれば、だれが選ぼうといいのではないか。条件設定としては、市民全体が納得のいくという条件をきちんとつけてほしい。また、この中立機関には、行政は入らないという原則をつけておく。これを大きな原則として、中立機関の委員の人たちがどういう人になったらいいかということで議論をしてみた。
 中立機関については、ワシントン州の川の例でいくと、市民総意をまとめる機関と行政の方での意見をまとめる機関と2つある。あるいは、楕円形の中心が2つあるような中立機関という考え方もある。民意と行政の意見を明確にしておく意味で、そういう中立機関の持ち方もあるのではないか。
<全体構成について>
 最終提言は、初めがあって1章から4章までの構成でとりあえずいってみて、まとめの段階で修正が必要であればすればいいのではないか。
 全体では、当初目指した吉野川懇談会が、徳島方式ということで、革新的なものができるかと思ったが、奇をてらった方法ではなく正攻法的なものになってしまった。しかし、徳島方式は最初からできるものではなく、積み上げの結果できるものではないかという意見もあった。
<第2章について>
 現在可動堰については資料、データ等がそろっているが、可動堰以外の案を検討し案が出た場合も、やはり同じような資料、データの裏づけが必要ではないか。それがなければ、比較の対象、評価の対象にならない。
 それから、かわら版の10号にある方策1、方策2は一緒にしたらどうか。しかし、当初第十堰問題から始まっているんだし、やっぱり気分的に分けて考えた方がいいのではという意見もあった。
 最終提言が提案する総合治水・市民参加検討委員会は、共通の話し合いの席に出てこない反対団体にいかに参加してもらうかという大きな目的があるので、可動堰以外から検討していって、有効な複数案をつくり、評価のところまで来て初めて、可動堰方式と優劣を競うような書き方はまずいのではないか。評価の上の可動堰方式というところを消したらどうか。トーナメント方式で勝ち抜いてきた可動堰以外の一番いい案と可動堰方式を比較して、それで優劣を争うようにとられるのではないか。こういうつまらないことで反対団体が出てこなくなっては、せっかくの最終提言の意味がなくなる。
<第3章について>
 市民の役割と課題だが、市民の方としては、このような考え方を踏まえてNPO団体を立ち上げることを考えている。また、自覚を持って参加すべきだと。可動堰反対団体は非常によく勉強している。推進派も、本当につくりたいのなら、そのくらい勉強したらどうか。両方の言い分を聞いてみると、反対派の方が正しいことを言っていると思えた。また、吉野川の掃除をする中から保守点検の視点や提案も出てくるのではないか、地道なところから始めたらどうか。
 行政の方は、データとか資料づくりは国土交通省に任せなければならないのでは。それと、市民活動への支援は反対団体にも行うのか。反対団体は独自に金を集めているし、ひもつきになるのが嫌だから、受け取らないのではないか。
課題としては、大型公共事業、特に河川が生態系に及ぼす影響は決して避けられない。環境アセスをうのみにしている行政も市民も問題がある。
<第4章について>
 審議委員会とどのように違うかで、今までは公正さに欠けていた。市民サイドから見た公正さがなかった。みんなが期待するメンバー、できるだけ多くの人が納得するメンバーが討論をして、それを公開で行い、透明性のある委員会にしなければいけない。審議委員会の中には、20以上の審議委員会をかけ持ちしている人もいたようで、それで公正な審議ができたのか、物理的に無理だ、こういう委員は決して選ばない。
 行政の体制では、公正な情報公開をしなければならない。行政の対応では、「多くの住民が同意しない事業については実施しない」とあるが、多くの住民が同意した事業については実施すると、逆の書き方を加えてもよいのでは。
 朝日新聞に中学生の投書があった。「可動堰建設 人間の身勝手-川にはたくさんの生き物がすんでいます。可動堰をつくることによって、その生物たちが死ぬかもしれないのです。中には貴重な生物も含まれています。もはやこの問題は吉野川や日本の中だけの問題ではないと思います。地球全体から見ても、人間のわがままと思われます。人間の安全のためにだけに他の生物を犠牲にすることは、同じ地球の仲間として一番してはならないことだと思います」。
 それから、だれが提言を実行に移すのか。検討会にしろ、情報センターにしろ、行政が設置すべきではないか、公正を持っているのであればという意見も出た。また、今ある団体や川に顔を向けている個人をどうネットワークするか。