第10回懇談会のまとめ         2001年2月3日 第11回吉野川懇談会資料

2.提案された「懇談会の役割と今後の取り組み」について全体討議
 懇談会の役割と今後の取り組みについて
<3月末をめどに最終提言をまとめ、懇談会としては区切りをつける>
  • 市民参加のあり方を模索するというのが、この懇談会の基本的な性格、位置づけ。尻切れトンボという意見もあったが、建設省なり県なり市町村なり、また流域住民の方へこのようなことを懇談会として提言する、それが趣旨だから、3月に最終提言を出す、そういう方向で進めていったらいいと思う。
  • 疑問派のグループは自分たちが考える新しい堰というのを検討しており、賛成団体も研究会をつくってやっている。こういう状況を捉えて、同じところで可動堰についてどうこうという意見を闘わせても、時間の浪費。3月で切りを付ける。
  • なおテーブルに着くか着かぬのことばかりをやるのも相済まぬ気もするし、可動堰がノーかどうかとこの2つだけの狭い範囲での判断が多かったと思う。3月で一応懇談会としての任務を終えるのがいい。・3月を目途というのはちょうどいい。1年経ち、十分考えた上でこうなったと思う。
  • 団体訪問の状況結果をみると、20余りある団体は皆ノーという回答だろうと思う。この会自体認めておらぬということは、ここの人たちがいろいろないい意見をまとめても、相手の方には通じていないということ。だから一応3月で提言をして、立派にこういう意見で終了したという結論を出して終了するのがよい。
  • 河川管理者、行政に対していい提言をするのが懇談会の目的だから、3月までにできるだけいい提言を出す、それのみに集中でよい。

<3月で区切りをつけることに反対>
  • 3月で終わるということになると、この会が尻切れトンボに終わるのではないかと思う。この会がみんなの意見を十分に集約できなくて投げ出すことになる。
  • 事業をするには市民参加という形がこれからの目標ではないのか、そのためにはどうしたらよいのかということで集まってきた。便宜上、簡単だからということでグループだけを対象にやってきたことに対して疑問がある。なぜ一般大衆に呼びかけないんだと言いたい。グループだけを相手にして、それがうまくいかないから解散するというならば、最初からしなければいい。
<提言後について>
  • 3月で切りを付けて、あとは、建設省といろいろな団体のクッション役になるような団体がこの中から育ってくれれば一番いい。
  • 提言後は、また別な行き方を模索すればいい。
  • 3月で区切りをつけた後で、また有志の皆さんと相談して、新しい組織を作って、この問題が解決するまで粘り強く運動を続けていかなければならない。
  • 解散後でも、今度新しくこれに類する何らかの組織ができたら、そこへ合流していくことも考えられるし、もう少し視野を広げたものも考えられる。
  • 提言後のことは、必要があればおのずからわき上がってくる問題だ。この会が残って、ダイヤのように輝きたいというような気持ちを持っていたらいけない。謙虚にならないといけないと思う。後のことは自然に任せたらいいと思う。
<最終提言をだれに対して行うのか>
  • 最終提言を行うのは建設省や県、市町村ということになっているが、市民対象の言葉でないと、ちょっと矛盾があるのではないか。
  • 河川管理者、行政に対していい提言をするのが懇談会の目的。
  • 建設省が設立した懇談会なので基本的には建設省に対して、こういうふうに仕組みを考えたらどうでしょうかということを出すのが一番のポイント。(吉村)
  • 提言の相手を行政に絞って、そういう内容にするということであればそれはいい。それで市民に対してもということになると、また焦点がぼやけるのではないか。
  • この会を最初に呼びかけたときは、決して建設省に対話のあり方を提言して下さいとは呼びかけていない。いろいろな団体、徳島の市民に対して、皆さんもこういうことを考えてくださいと、そういった流域の関係の皆さん全部にそれぞれ考えてもらいたいこと、それが結局は対話のあり方、市民参加のありかただと思う。建設省だけではなく、市民も含めて提言を出したらいかがでしょうか。(大平)
<提言に盛り込む内容について>
  • この会の目的としておりますところの、共通のテーブルに着いてそれぞれの意見を提案して、それを検討して、最良の方策を得る。
  • (第8回)グループからの提案で、市民参加のあり方を模索するというこの懇談会の基本的な性格、位置づけが発表されたので、建設省なり県なり市町村なり、また流域住民の方へこういうようなことを懇談会として提言する。
  • 最終提言に当たって、もともと可動堰賛成、反対から始まって、反対派の人は、自分たちが反対したんだから、少なくとも代替案を出さないといけない。賛成の人も、可動堰に対しての意見も大分変わってきていると思う。共通のテーブルに着くということですけれども、各地域でできるだけ大勢の人の意見を聞いて、意見を集約して、その中で決定する。どうしても意見がまとまらなければ多数決で決める。こういう世の中のルールに沿って、着々と前に進めていくことを提案したい。
  • 市民の意見といったとき、流域にはたくさんの自治体・行政単位があって、住んでいらっしゃる方もいる。その意見を例えばアンケート調査で集約する作業は必要だが、それを誰がやるのか、ということを提案にしたらどうですか。(吉村)
  • 提言に盛り込むとすれば、これまでの内容をちゃんと整理しないと前に進まないから、団体とも建設省はやりなさいと。団体だけでなく一般市民はいまどう思っているんだろう、そういうことを把握することも建設省・徳島市・板野市・藍住町・・・でもやったらいいのではないか。(吉村)
  • 自治体の市町村をはじめ、そういう人たちを県が要請して、県が要請してアンケートをとるようにしたらいいだろう。
<これまでの懇談会を振り返って>
  • この会の名称をつくったときに、明日の吉野川と市民参加のあり方を考える懇談会として、今日の8号まで、8回ちゃんと市民参加のあり方を考えると書かれているわけで、それは終始一貫していると思う。
  • いろいろ変化しているというお話ですけれども、変化しなくちゃいけないんですね。つまり、8月に白紙勧告ということも出て、状況もまた変わっている。しかし全然変わっていないことがある。共通のテーブルに着くことができない、これは変わっていないのです。では、私たちはどこまでできるのかということで変化している。誰に対してという項目を設けたので変になったのかもしれませんが、そういう変化の仕方というふうに捉えていただけないでしょうか。(吉村)
  • 最初私たちは、この徳島の将来を考えてどのようにしたらいいんだということで、集まったと思う。その気持ちは皆さんずっと変わらないと思う。ただ、どのような方法を選ぶかというのは、もちろん状況によって変わってくると思う。
  • 便宜上団体だけを対象にして失敗したと思う。やはり元に戻って、地域住民全体に呼びかけることが必要。地域住民の意向をどのようにして反映するのかという方向を、我々としては一応考えていきたい。団体訪問について失敗という言葉があったが、これは適切ではない。試行錯誤の段階であり、訪問に行かれた方は、いろいろなリアクション、ご意見を頂いた中で、それをこの会に持ち帰って、次のステップにしている。失敗ではなくて、一つの経験であり勉強であり、試行錯誤の段階である。