2001年2月24日 第12回吉野川懇談会資料

■全体討議のまとめ

1.議事1「対話の実現に向けた方策を考える(その1)」について
 

内 容
方策1の「可動堰以外」という表現について
<言葉が1人歩きし、可動堰はもう議論しなくなったと誤解される可能性がある>
  • 今の説明された案の中に、可動堰以外という言葉が出てくる。可動堰というのはおいておき、それ以外のことも検討して、最後に可動堰と比較して評価するということの理解はできるが、可動堰以外という言葉は外してほしいと思う。この言葉を入れると、これがひとり歩きする。もう可動堰の問題は消えてしまった、それは論議をすることはなくなったんだと、後々誤解される可能性がある。もともと私は可動堰にこだわっていない。いろんな案を出してもらって、一番いい案でつくると。可動堰を上回るいい案があったとしたならば、当然いい案でつくるべきであって、その時点で可動堰は消えていく。初めから可動堰以外という言葉をここに持ってくるということは、私はどうしても理解できない。ここに可動堰以外という言葉をだれが出されたのか。この懇談会でそういうことを今まで決定されたのか。私は、今まで一回も欠かさず出席しているが、こういう言葉を決定したことはないわけだ。
<「可動堰以外」を消せばあとは問題ない>
  • これは重大な問題だから、単なる言葉じりではない。その可動堰以外という言葉は消してもらわぬと。これを消しても、あと、何も差し支えないのでしょう。吉村さんの書かれたとおり、あとはいけるわけだ。
<可動堰はよいが、以外という言葉をやめてほしい>
  • 可動堰以外というのは、この懇談会で、非常に重要な答申を行い、その言葉の中に、可動堰は除くんだという言葉が出てくることだ。これは非常に重要なことだ。可動堰という言葉は使っていいが以外という言葉はやめてほしい。逆に、可動堰の問題も論議するというのならいいがそんなことはできないだろう。だから可動堰以外という言葉をのける。それが公平であり、一方に寄ってはならぬということだ。
<例えば部分可動堰案が市民から出てくるとすれば、それは1つの市民案として受入れられるよう、可動堰という言葉は一切外す>
  • 可動堰という言葉は一切外して、市民案になるのか、複数案がいっぱい出てくるわけで、その案の中に部分可動堰もあるかもわからない。何も官庁から出てきたんじゃない、市民から出てくるのであれば、それは一つの市民案として、何でもあり的になるのかどうか知れないが、可動堰という言葉は一切外して、もっとすっきりした形に。
<考え方としては可動堰方式ではなくその他の方式に集中して話し合うということでよいか>
表現は別として、可動堰方式を話し合うのではなく、その他の方式に集中して話し合うという考え方はよろしいか。(吉村)
<市民案など、ふさわしい名前を考える>
  • (可動堰以外という言葉は)これは新聞にもよく出て、市民の間で認識されている言葉であるが、方策1の中に上げる言葉としてふさわしくなければ、新しい案とか、市民案とか、名前はまた考えて、いいようにつければいいと思う。
<その他の方式とする>
  • 今の徳島の場合は、可動堰がいい、それはだめだという両方の人がいる。その中で、いかに公平に物事を処理するかというと、可動堰をつくろうか、やめるかということにはならない。可動堰以外という言葉を入れると、結局、可動堰に反対している皆さんの言うことと同じことになる。私たちは、そういう結論をこの懇談会で出すべきではないと思う。これは公平ではない。下に黒の括弧で、可動堰以外というところを、その他の方式と入れて、あとはそのまま使える。
方策1の「可動堰以外」という表現について
<複数の市民案とする>
  • 方式1の方は、可動堰以外とか、可動堰とか、その他とか−−その他といったら、 可動堰対という対決の姿勢が言葉の中に見えるから、可動堰という言葉は一応除く。 例えば、複数の市民案でいいと思う。可動堰以外からと書かなくても、市民の中から可動堰的なものが出ることも考えられる。第十の真ん中をワンスパンだけ可動堰にしようかとか、そういうのも市民案の中にあるように聞くので、可動とか固定とかという言葉を抜きにして、市民複数案の検討と。赤の四角、次の青の四角2つ(*図の中の可動堰以外、まず可動堰以外から検討、有効な複数案の箱)は1つにまとめて、市民の複数案の検討でいいのではないか。
<その他の案とすると、何に対するその他の方式かという問題がある>
<可動堰計画をめぐるもめごとであるのに、可動堰の言葉が入らなくてもよいのか>
  • 可動堰の言葉は入れるべきでないという意見があり、その他の方式でもよいが、その他の方式というのは、何に対してその他の方式かということを説明しなければならない。最終提言も、可動堰という言葉は全然出てこないのか。可動堰計画をめぐるもめごとであり、また市民参加のあり方を考えているのに、言葉として可動堰というのは何も入ってこないということか。それは白紙なんだからということでいけると皆さんが言うならば、それでもいいが。現実の問題、プロセスを言っている。可動堰計画があって、中間提言では、これにこだわらずに、その他の多様な方式が出てくるようなことをやったらどうかということである。今ここの入り口論議をめぐって、可動堰というのがもともとあり、それのよしあしというのが、徳島市だけだが住民投票があり、一つの結論が出て、こういうような白紙をめぐる解釈の違いもあった。可動堰以外のというのは、新聞報道にも出ており勝手につくった言葉ではないが、入れると、相当まずいということか。(吉村)
<第十の堰をどうスタートするかの意味で、第十の堰という表現ではどうか>
<改築の必要性は前提になる>
<ここでの可動堰以外は撤回を意味するものではないことを共通理解としたい>
  • 第十の堰でいいんではないか。何を目標にという話ではなく、第十の堰をどうするかという問題だ。可動堰云々という話になってくると、外す問題云々と。可動堰云々じゃなくて、第十の堰をどうしますかというところからのスタートではないか。→もちろんそうだ。改築の必要性から戻ってというのは、大平所長ももっと前から表明しているわけであり、それは前提になる。可動堰以外の複数案を考えるときにも、環境がどうなっているかなど、やらなくてはならない。必要性からやるのだから、同じことをやるようになると思う。何でもありと言っている人は、可動堰方式を外すなと言っている。可動堰撤回の人は、外せと言っている。だから、こういう表現にしている。ここで可動堰以外と言っているのは、撤回したことを意味するんじゃないです。話の順番で言っている。ここのところが皆さんの共通理解にならなければならない。(吉村)
<可動堰以外という言葉は置いておく>
  • 可動堰をどうするか、こうするかということが大きな問題になったのだから、ここの中での可動堰以外というのは絶対に置いておいてほしいと思う。
方策1、2について
<方策1、2の双方を盛り込んではどうか>
  • 文字どおり白紙からの議論をするために、例えば第十堰をどうしたらいいかということをきちっとやっていくには方策1があるだろうし、堰問題そのものをおいておくと、方策2がある。あと問題は、テーマの立て方、ルールだ。最初のルールというのがちゃんとつくられていないとならない。どちらかとここで決めずこの2つを盛り込むという点ではどうか。
<実現に向けた方策であるから、両方のせるのが妥当>
  • 次の実現に向けた方策であるから、1つに絞るのでなしに、両案とも載せていくというのが妥当でないかと思う。私は、この原案どおりで十分いけると思う。
<方策1は目先の提言、方策2は長期の提言>
  • 方策2は、現状分析や、建設省からのデータ公開など、いろいろあるかもわからぬが、これは、10年、20年、30年、40年、50年とかかると思う。方策1は、比較的短い期間の問題で、方式2は、長期な問題だ。徳島県からもっと上の高知県から流れてきて、ダムの話などにもなるか知らぬが、全体のことをやるということになると、物すごく範囲の広い問題で、徳島県からこぼれ出している問題だ。しかしこれは提言だから、それはどんどんやっていい。上が目先の提言となれば、これは長期の提言、だからこれは両方提言である。
<方策1が出せるような状況に方策2から入り話し合いを進める>
  • 入り口、スタートの問題と思う。方策1、2というのは、概して賛成だ。最終的にはこういうふうな形になる。これは時間の問題だ。可動堤云々の話から入って、この問題が起きているわけで、それを最初からいきなり切り込んでいくように見える。最終的には、5年後か10年後かわからないが、この話が出せるような状況に、いかに県なり国なり我々がそういうふうな方策を提案できるかと考えるべきだろうと思う。 あえてここで選ぶとすれば、2の方から入る方がいいだろうということであって、決して方策1がいけないということではない。やがてこれが出せるような状況に話し合いを進めていく。そういう話し合いの場を我々は提案したと考えている。
<方式1、2を最終最終提言に盛り込む>
とりあえず、方策1、2、こういうような考え方も含めて、最終提言に盛り込む。(吉村)
<方策1の進め方を検討すべき>
  • 方策1というのは、それが立てるべき道で、どういうルールの中で進めていくという案として進めるべき問題ではないか。方策2というのは、1回目のときに、吉野川全体から話をするのか、現実に起こっている第十堰からいくのかというところから、こういう形で求めたわけだから、2はまたもとへ戻る可能性がある。今やらないといかぬのは、1の方策のスタイルでどういうふうに進めていくべきかだ。
<方策1は複数の市民案の検討とすればよい>
  • 評価というところで、学者が出てもらうか、お役所から出てくるのか。上の可動堰方式と書いてあるところを消し、評価の中で、いいものが出てくれば、だれも可動堰は頭の中から飛んでしまう。評価のところで、自然発生的に有効な市民案が複数出てくれば、それを検討し、評価のところで終わるわけだ。 四角が大中小と3つあるが、それは1つにまとめて、複数の市民案の検討としてしまう。何でもありとか、可動堰がどうとか、分かれてしまったのではおかしいと思う。可動堰以外とか、その他の案とかいうと、我々の案はその他ですかというようなことになる。市民案は、一つ一つ独立したA案、B案、C案、D案と、いっぱいつくってもらって、それを評価すればいい。 方策1は、結局、第十堰の地点における一つの問題だから、提案もいろんな面から来て、短時間に−−といっても、5年か10年かわからぬが、かかるわけだ。
<方策2の河川整備計画からいけば可動堰云々の問題がないのではないか>
  • 可動堰云々という問題があるから、なしか、ありかということで分かれていると思う。 方策2の河川整備計画からいったら、問題ないのではないか。可動堰をやめるとかやめぬとかいうことになってきたら、おかしい問題が出てくる。
<方策2は白紙的である>
  • 方策2の中を見ると、将来像でいろんなことを分析して、これは完全に白紙的なものになっている。その中で、第十堰の取り扱いと書いてある言葉は、我々の会に「第十堰から始める新しい川づくり」というキャッチフレーズがあるわけだから、上から下へ回して、括弧にするというぐらいにすれば、公式には白紙だ。
<ネックになっているものを考慮すると堰の問題をひとまずおこうということにならないか>
我々だけで話しているから、いろんな団体の方、市民の皆さんがどう考えるか、全然わからない。表現は問題があるかもしれないが、今こういうところがすごくネックになっていると思う。だから、これは一たんおきませんかというのもありだとは思うがこのときに、ここに行くにしても、可動堰をめぐって今まで運動してきたわけである。そして、アウトプットみたいなものを皆さん描いている。このことがあいまいにされたまま、ここに入るかどうかわからないということもあるし、こっちの提案も、やはりアウトプットだ。もう1つの考え方は、なぜAとBというのを提起しているかというと、順番論でいくと、先送りのそれは消えたわけではないが、この段階で検討しましょうということのテーマとして、先で検討する条項にもなるし、千歳川放水路のように、有効な複数案が検討されたときに、あれはもうやめましょうと。これをやれば、みんなで合意できるし効果も上がるということで、もしまとまったら−−これは仮説を立てて言っているが、そのときに消えるかもしれないし、残った形で、順番として後のものになるかもしれないということだ。  ここの物事の考え方は、複数案がまず出て、それらの効果のきちっとした評価をされて、あるいは環境上の問題、用地の買収、金額など、いろんなことをされて、有効な方策の中に可動堰も入るかもしれないし、そこで可動堰が消えるかもしれないし、あえて評価しなくてもいいじゃないかと。それはこの段階までやってから、話し合いの中で、改めて可動堰ということもあるということだ。こういう発想に立ちませんかということだ。  建設省が昭和57年に立てたときに反対運動が起きなかった。それは余り情報が公表 されていないということもあると思うが、その当時一気に予算がついてやっていたら、こういうことになっていなかったかもしれない。状況が変化した。皆さんの考え方や、世界的な問題も含めて、いろいろな状況の変化の中で、当時はベストだったのが、今の時点で、技術的にはベストなのかもしれないが、社会的な合意がされないものは前に進まないという状況になってしまったということだけは確かだと思う。その状況の変化の中で、どの段階で可動堰が比較されるか、生きてくるのかということだと思う。ここで、いい案が全然出てこなかったら、やはり可動堰にするかとなるかもしれない。時間で変化するし、物の考え方でも変化するから、そういうことを最終提言に盛り込んだらどうかということだ。 これは、私のアイデアではなく、今までの議論、訪問団を通じて、何がネックになっているのか、8回目、9目、10回目の懇談会で、そういう構造を皆さんと論議してきた。(吉村)
<河川整備計画ということで川全体をもう1回見なおす提言としたい>
  • 私たちは、当初、この吉野川の問題に関して、ずばり第十堰を主に考えるか、もう1つは、吉野川全体を考えるかというような議論はかなりやった。そして、前者の方をとったわけだが、今になって考えると、環境も変わってきている。一応可動堰白紙ということになると、次のことを考えなくてはいけない。ということは、後者の河川整備計画ということで、川全体をもう一回見直しましょうと。可動堰も、堤防のかさ上げも河床の浚渫も、川を真っすぐする、部分的にする、ほかにもいろいろあるかもわからない。こういうような形でいきませんかというと、今議論があったような、可動堰という言葉を入れるとどうかというようなことは消える。 後の河川整備計画ということで、もう一回皆さん寄りませんかと、こういうような提言がいいのではないか。
<方策1、2の扱いを決めて、共通のテーブル以外の方法について議論したい>
  • 共通のテーブル自体は、私は、最初は賛成していたが、途中で、共通のテーブルはどうでもいいという発想だった。皆ちょっと勘違いしているのではないか。これは、共通のテーブルをつくるとすれば、この2つの方法があるでしょうと。方策1の方は、すばらしいアイデアだなと感じている。方策1も方策2も両方考えられるんだよと、それでいいのではないか。共通のテーブル以外に方法はあるかと。私はこの辺をもうちょっと議論したい。1、2を採用するのか、1は飛ばすのか、賛成か反対かを決めて、早く次へ行きたい。