議事参考資料/あつれき問題事例(1)

2001.2.3 第11回 吉野川懇談会 



■参考資料1:千歳川放水路検討委員会

経過は、吉野川と大変よく似ている(白紙撤回条件。テーブル参加拒否)。
事業主体である開発局に代わって、知事が学識者7名による「検討委員会」を設置。この検討委員会によって、参加を拒否した反対団体との意見交換会や拡大会議を行い、コミュニケーションが図られた。
反対団体が参加を拒否したことから結果的に別の第三者機関を設けた形になっているが、団体の独立性の確保という視点から見ると、むしろ、このような形の方が団体にとっても「参加」しやすい形態といえるのではないか。

つまり、共通のテーブルが何らかの合意を図る場であるとすると、参加している代表は個人としての意見を出しにくい(党議拘束)ということと、解決策を見つけるための創造的な議論になりにくい(意見を変えにくい)ということがある(後述の愛知万博での問題点など)。

検討委員会の大きな特徴として、「千歳川放水路計画は検討の対象とせず、有効であると思われる様々な洪水解決対策を検討し、総合治水対策案としてまとめた」ことである。

大事なことは、それらの方策が、単に並列的なものでどれを選ぶかということではなく、優先順位を示しひとつひとつ治水対策を積み重ねていくことを提言していることである。つまり、計画目標を一気に解決する「トップダウン計画」ではなく、「ボトムアップ計画」を提言しており、計画論的な面でも注目される。

現在、第十堰に関しては入り口で「可動堰あり・なし」という膠着状態にあるが、「ボトムアップ型」の検討プロセスを提起することが考えられる。
(1)主な経緯
 昭和50年、56年の記録的洪水を契機に、昭和57年3月の石狩川水系工事実施基本計画の改訂の中で千歳川放水路計画が位置づけられた。昭和58年から美々川・ウトナイ湖の保全などの観点や放水路のルート決定を巡る議論と関係者の反発、漁業団体からの反対なども強まった。
 一方、放水路推進の人達は、昭和62年に流域住民が自主的に結成した千歳川放水路事業促進連合期成会、関係自治体などによる千歳川放水路事業促進連合協議会などを発足させ、次第に賛否両論の対立が鮮明になり混迷の度合いが深まる。
 平成9年2月には、堀知事が「一度立ち止まって適切に対応されるべき時期にきている」との見解を示した。開発事務次官も、「前提条件なしに推進派、反対派が話し合う場を設けたい」との意見を表明し、開発庁長官も円卓会議の必要性を表明した。
 平成9年3月には、開発庁から「千歳川流域の治水対策について、原点にかえって各界の方々が意見交換する場」を設置したい旨の意思表示。また、佐藤建設政務次官が「一度白紙に戻って関係者が協議することが必要」との見解を示した。
 円卓会議開催を巡って、道指導漁連、自然保護8団体は、「計画を白紙撤回した上でなければ話し合いには応じられない」との意見表明が出された。
 知事は平成9年4月21日の定例記者会見で、「話し合いの場については、前提条件なしに計画を白紙に戻し、流域の治水対策について地域の合意をつくる場としたい」との意見を表明した。その後、知事の要請により、平成9年9月29日に「千歳川流域治水対策検討委員会」が7名の学識経験者を委員として正式に発足した。
(2)検討委員会の運営
・委員会:計23回(97/10〜99/5)
・拡大会議(反対団体、首長など7人):計16回(98/4〜99/2)
・意見交換会:計5回(97/11〜98/1)
(3)検討委員会の提言(要約)

1.

基本的に、千歳川および千歳川と石狩川の合流点を含めた流域における総合治水対策を推進する。千歳川放水路計画については検討の対象としない。

2.

千歳川と石狩川の合流点の整備計画については、策定のための「新たな検討の場」を発足させ、関係住民の合意を得て立案する。

3.

治水対策の一環として、関連する社会制度の整備充実を図る。

4.

検討委員会は、千歳川と石狩川との合流点整備をはじめ、有効であると思われる様々な洪水解決対策を検討し、総合治水対策案としてまとめた。これらを実施することによって千歳川流域の治水は著しく改善されると判断する。新遠浅川案のような流域外対策案は、総合治水対策の進行状況をみた上で、万一それらが著しい効果を果たさないと判断された段階で、新たな検討事項として取り上げるべきものと考える。

5.

千歳川放水路計画により、そのルート上の関係住民の将来設計に支障が生じたとの主張に対しては、国も道も行政を司る立場から今後十分に配慮し誠意をもって対応する必要がある。

検討委員会は放水路案以外で、現実的な治水対策は有り得るのか否かについて検討することとした。もし、放水路案以外の方式によって著しい治水効果が得られる可能性があり、しかも流域外に影響を与えないことが明らかとなれば、放水路案の検討は自ずと不必要となる。たとえ個々には小さな対策であっても、それらの集積によって効果がある。それが総合治水対策案の追求の理由である。

総合治水対策案が煮詰まってきた段階で、流域外対策案との比較検討がなされるに際して、放水路案の他に、流域内対策に加えて新遠浅川案が開発局から説明された。この新遠浅川案は、総合治水対策のうち千歳川本・支流での対策を講じた上で、なお処理ができないと思われる洪水を処理するという点で放水路案とは異なるものと説明された。この時点で、検討委員会は従来からの放水路案は今後検討の対象にする必要はないと判断した。
(5)ポイント

白紙をめぐる対立は共通している。批判団体は白紙撤回を条件。

話し合いの呼びかけだけでは「場」は実現しない。

事業主体である開発局ではなく、道が検討委員会を設置(形の上で第三者的)

中立機関としての検討委員会が各当事者と意見交換会や拡大検討委員会を行う。

批判団体は、円卓会議への参加に賛同しなかった(白紙撤回が条件)が、検討委員会との意見交換や意見書の提出などを通じて、コミュニケーションが図られた。

検討委員会は、放水路計画案以外の代替案(総合治水)を検討。

提言で、実現可能な治水対策の積み重ねを提言しているところが重要。目標を設定した上でのトップダウン的な治水計画から、現状を少しずつ改善していくボトムアップ的な治水計画への提言といえる。

新たなスタートラインを模索し、次のステップに進む中間的役割(開発局は、検討委員会の提言と道の意見を受け、新たな治水対策検討の場を設け現在検討中)

●千歳川放水路をめぐる主な経緯

 ・1981/8

集中豪雨2回
千歳川流域3市3町の浸水家屋4000戸、被害総額約300億円

 ・1982/3

千歳川放水路計画決定(千歳川水系工事実施基本計画)

 ・1984/10

横道知事、放水路計画推進表明

 ・1987/6

北海道開発局ルート決定

 ・1991/7

道指導漁連公害対策本部、反対表明

 ・1992/10

千歳川放水路連絡協議会設置
(開発局、北海道、苫小牧市、千歳市、早来町、長沼町)
 ・1992/6 北海道、開発局にルート変更など5項目要望意見書提出
 ・1994/4 自然保護協会、「抜本的方針変更必要」と反対表明
 ・1994/5 全道漁業協働組合長会議、反対表明
 ・1994/7 開発局、道の5項目要望への正式回答
 ・1997/2 知事、「一度立ち止まって適切に対されるべき時機」との見解
 ・1997/2 開発庁事務次官
「前提条件なしに推進・反対双方の話し合いの場をつくりたい」
 ・1997/3 道指導漁連「白紙撤回しなければ話し合いに応じられない」
 ・1997/3 佐藤建設政務次官「一旦白紙に戻って関係者が協議すること必要」表明
 ・1997/4 知事「前提条件なしに白紙に戻し、治水対策について地域合意の場としたい」
 ・1997/4 自然保護8団体、「円卓会議」に対し「完全撤回が条件」
 ・1997/5 建設省、放水路予算5割執行保留表明
 ・1997/9 開発局の依頼を受けて道が「千歳川流域治水対策検討委員会」を設置
学識者7人
委員会 計23回(97/10〜99/5)
拡大会議(反対団体、首長など7人) 計16回(98/4〜99/2)
意見交換会:計5回(97/11〜98/1)
 ・1999/6 検討委員会から知事に「提言」提出