共通のテーブルに着くのは「人」ではなく「具体的な構想」
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<具体的な方法論、構想を我々が手を使って使って集めたらどうか>
- 共通のテーブルに着くのは人ではなくて、吉野川をどういうふうにしたらいいのかという具体的な構想だ。これが主役であって、それがテーブルに着かなければだめだ。そういった構想をすべての人から広く集める。そして、こういう方法が集まりましたよということを、仮のテーブルでよろしいから並べて、それについて皆さんに検討してもらう。それについて、可動堰がよろしいと自信のある人はそれについて代弁する。人は次の問題であると。こういうような方法で、とりあえず我々としては、どのような方法が実際にあるのかと。これが結局、最終的な問題だ。
こういった具体的な方法論、構想を我々が手を使って集めたらどうだろうか。そして、それを一般の人に見てもらう。こういう問題があるんだ、こういう方法があるんだ、私はそれは賛成だとか、案を出した人が説明しなくてもいいし、力がなければ、適当な代理者の人に応援してもらうとか、こういうような方法で、要するに、どういう方法があるのか、具体的なものをまずつくって、それを皆さんに見てもらう。そういう方法が我々としたら今現在できると思う。
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