<「『共通のテーブル』につくということは」の表現について>
→「共通のテーブルとは」の方がいいのではないか。さっきの参加してくれみたいな言い方になってしまうので。(吉村)
- 「『共通のテーブル』」についてくださいということは」というふうに変えたら、よくわかるのではと思うが。
→共通のテーブルがちゃんとあってということではないから、着いてくださいとか、参加してくださいということがスタンスではないと。共通のテーブルをつくりませんか、どんなテーブルがいいですかということだから、今の言葉にすると、着いてくださいと我々が言いに行っているようだ。そうやって、誤解もされたので、そういうことではないと。この懇談会に参加するみたいにとらえられていることに対して、そういうことではないということをかわら版に書きたいと思う。(吉村)
- 共通のテーブルというのはまだない。ないから、参加してくださいとは言えない。共通のテーブルというものはまだないということを文章の中で明記しておけば、懇談会に参加するのではないということも一層はっきりすると思う。きょうの会の中でも、これを最初に配られていて、それをみんなが見ておれば、ここへ来て話してもらうような話は出てこないと思う。
→共通のテーブルというのはまだない。だから、参加してくださいというのは変だということ、この懇談会が母体になるわけでもないと。ここに参加してくださいということでもないということだ。もちろん、自主的にこの懇談会でいろいろ意見を言いたいという方が出てくるかもしれないが、懇談会が提案しているのはそうではない。基本的にはそのような趣旨で、字句についてもう一度見てみる。(吉村)
<共通のテーブルは懇談会が提案しているのではないのか
→懇談会がテーブルを用意し、テーブルに着いて下さいということではない>
- これは我々が提案しておることですわね。だから、それでないんやというのは、逃げとるような……。
→共通のテーブルをつくる必要があると。例えば、こういうことでできませんかねというのが中間提言である。この懇談会が用意したテーブルがあって、着いてくださいということではない。懇談会が、これが共通のテーブルだとつくって、場を設定してもいいのだが、来なかったら、場にならないということだ。(吉村)
<共通のテーブルは段階を踏んで見えてくる>
段階を踏んで、そうなっていくのであって、これが共通のテーブルです、さあおいでくださいではない。共通のテーブルができるのは、我々だけができるのではなく、どこかほかの団体がしてくれても構わないし、できるかもわからない。世の中にはグリーンピース、オンブズマン、新聞社、新聞社の外郭団体、そういうことをするのが好きなところがあるから、そういうところがおつくりになったら、いろいろ進むんだから大いに結構だ。今まだ懇談会の中へ来てくれというのではなくて、皆が集まって、そういうテーブルをつくったらどうでしょうかから始まっていると思う。本当にテーブルに着くとなったら、四十何団体が着く。そのときに、この会は団体ではなく一傍観者であるにすぎない。
ただ、共通のテーブルをつくりませんか、お世話しましょうということで、メンバーの方にやっていただいている。数が多ければ、いろいろな意見があるのは当たり前だ。
そういう状況の中で、これが共通のテーブルだというのは、まだおこがましい。それはステップ・バイ・ステップで、十幾つかのところと接点ができれば、それと接点を保つと。一つ一つがここへ来て、みんなと話をするのではなくて、接点、接点に、先方が2人ならこっちも2人というような対応の中で、対話を持っていけば、いろんな問題点が明らかになってくると思う。それを残りの団体との接触の中で続けていけば、いろんなことが見えてくる。これはもう時間がかかる。何年か前の状況と違う。ゆっくりやっているようだが、一つ一つ着実に何かが見えてくるのではと、私はそう思っている。
|