議事1:団体ヒアリングの中間まとめ(1)



 9月30日までのヒアリングで、各団体(個人)の方からいただいた主な意見を整理すると以下の通りです。

1.白紙(与党勧告)の意味をめぐって

建設省の計画(13km地点・道路橋併設案)が白紙になったということ。
可動堰も含めた白紙からの議論をすればよい。白紙にはどんな議論もある。

今の白紙は何色にでもなるし凍結は必ず溶ける。必要なのは白紙撤回。
建設省や県は可動堰へのこだわりを捨てていないのではないか。

釈然としない。意味不明である。
白紙の意味が不明。それがずれると話し合いにならない。
それぞれの立場で都合のいいように解釈している。

白紙(与党勧告)の意味が曖昧であり、「共通のテーブル」につくための条件という点では勧告前の状態とあまり変化していないと思われます。
白紙の中に可動堰が選択肢として残るかどうかという点が大きな問題になっています。
このような状況を改善するアイディアを私たちは出すことができるでしょうか?

2.白紙のスタートライン

建設省が提案した可動堰案がない段階まで戻る。それが白紙のスタート。
可動堰に反対、賛成以前のベーシックな問題、科学的議論を一から。可動堰の是非はずっと後の課題。

第十堰の早期改築には反対がないが、方法をめぐって議論が割れた。議論の前まで立ち返り一日も早く改築したい。
改築とは既存を壊し新しいものつくるという意味。事業目的や必要性の判断から問い直すべき。

計画案の前の段階に戻って議論するというところでは、共通点があると思われます。
ただし、「可動堰もあり」なのか、「可動堰はなし」なのかという話し合いの過程や出口をめぐって見解の相違があるということです。
もうひとつは、「改築前提」なのか、「改築の必要性」からの議論なのかという点で見解が分かれています。
結局、白紙の意味に戻らざるを得ない。それは、あれこれ解釈するということではなく、多くの人が納得できる話し合いのためのアイディアを出せるかどうかだと思われます。

3.「共通のテーブル」の必要性と実現性

「共通のテーブル」による話し合い以外に現状を打開する方法はないと思う。
危険に対処するのは当然であり、話し合いをすることにやぶさかではない。

住民投票結果を持ち出されては参加できない。
白紙の意味が一番の問題。可動堰がちらつくところには寄っていけない。
現状では、双方がテーブルについても、互いに主張し合うだけだろう。

話し合いそのものに否定的な意見はないと思われます。
しかし、白紙の解釈や話し合いの前提条件、これまでの経緯などがあり、現状での実現性や話し合いの生産性については悲観的な意見が多いようです。

4.「共通のテーブル」実現への課題/土壌づくり
テーブルづくりを推進するよりも、懇談会で議論を深め住民にもっと吉野川を知ってもらうこと。そういう土壌をつくってからでなければ、テーブルをつくるのは難しい。
テーブルには、双方が認める権威・存在が必要。みんなが認める人、この人ならテーブルについてみようと思う人、その人を中心にテーブルの形を作るのがよい。
テーブルのレフリーはどう考えているか。それがないと、こういう人には協力できないという場合もある。

これまでの経過をひとまずおいて、1・2歩下がって判断するためには、流域中心に吉野川や堰をどうするのか議論するのはよい。
吉野川の問題の大きさ、深さを県民が知り、自分の問題として考える。
当面は大勢で意見を言いながら知識、理解を深めることが大事。
第十堰を可動堰の問題に矮小化したのが問題だ。洪水の予防や大水予測などベースとなる問題の議論が重要で、「これかあれか」ではない。とにかく勉強することだ。

まずは、建設省や県にテーブルができる状況づくりを求めるべきだ。
各市町村が新しい考えを持つための働きかけが必要。推進チームの解散、パネルの撤去、広報誌の可動堰推進部分の削除。市や県の可動堰推進決議の撤回。
危ないところは補修すべき。建設省は情報公開し、これまでの疑問にも答えるべきだ。

とても貴重な意見をいただきました。
テーブルづくりの前に「土壌づくり」が必要との指摘は大変重要だと思われます。そのベースになるのが、吉野川流域全体の課題に対する県民の関心と理解という指摘です。
行政が検討すべき「土壌づくり」という指摘も重要だと思われます。
誰もが認める人物というのも重要なキーワードだと思います。