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東南海・南海地震による被害
 東南海・南海地震は、過去おおむね100〜150年の間隔で発生しており、下の図で見られるように、江戸時代(1605年)以降、約400年で4回発生しています。
 過去の地震では、同時に発生したとされる1707年の宝永地震のほか、32時間の間隔をおいて発生した1854年の安政東海地震・安政南海地震、約2年間の間隔をおいて発生した1944年の昭和東南海地震・1946年の昭和南海地震があります。
 ここでは、四国に大きな被害をもたらした地震について、時代の新しいものから 昭和南海地震(1946年)安政南海地震(1854年)宝永地震(1707年)の順に被害状況を見ていきましょう。
2034年までに、東南海地震は60%程度、南海地震は50%程度の確率で発生
江戸時代以降に起こった東南海・南海地震
(出典:「地震調査研究推進本部(2001年公表)資料」加筆修正)
○昭和南海地震(1946年)
 昭和南海地震は、四国の沖から紀伊半島沖にかけての沿岸部を含んだ南海トラフ沿いの地域を震源域として発生した地震であり、徳島市、高知市などで震度5が観測されました。
 被害は、中部地方から九州地方まで及び、死者1,330人、家屋の全壊11,591棟、半壊23,487棟、流出1,451棟、焼失2,598棟でした。
 津波は、房総半島から九州に至る沿岸をおそい、特に徳島県、高知県沿岸における津波高さは4〜6mに達しました。
(出典:「地震調査研究推進本部」)
昭和南海地震の震度分布図
(出典:「地震調査研究推進本部」)
昭和南海地震による各地の津波高さ
(出典:「地震調査研究推進本部」)
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○安政南海地震(1854年)
 安政南海地震は、四国の沖から紀伊半島沖にかけての南海トラフ沿いの地域を震源域として発生しており、徳島県や高知県では震度6相当の揺れであったと推定されています。
 被害は、中部地方から九州地方にかけての広い範囲に及んでいますが、前日(32時間前)に発生した安政東海地震によるものと区別できないものも多くあります。
 津波は、四国の太平洋沿岸や潮岬付近以西の紀伊半島沿岸などで高く 4〜7mに達し、なかでも高知県の土佐で11m、須崎で8.5mにも達しました。
(出典:「地震調査研究推進本部」)
 また、この地震は、昭和12年から昭和22年まで国語教材として使われていた「稲むらの火」の題材となっています。
 「稲むらの火」は、安政元年(1854年)の南海大地震の際、広村(現和歌山県広川町)の浜口梧陵(教科書では五兵衛)が自分の稲に火をつけて津波の襲来を知らせ、村人を救った実話をもとに小泉八雲が書いたものです。
安政南海地震の震度分布図
(出典:「地震調査研究推進本部」)
安政南海地震による各地の津波高さ
(出典:「地震調査研究推進本部」)
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○宝永地震(1707年)
 我が国最大級の地震の1つで、遠州灘沖と紀伊半島沖で2つの巨大地震が同時に起こったと考えられています。地震の揺れは、関東から九州に至る広い範囲で起こり、四国では高知県で震度6以上と推定されています。
 津波は、徳島県や高知県沿岸で高さ5〜8mに達し、紀伊半島から九州までの太平洋岸や瀬戸内海をおそいました。
(出典:「地震調査研究推進本部」)
宝永地震の震度分布図
(出典:「地震調査研究推進本部」)
宝永地震による各地の津波高さ
(出典:「地震調査研究推進本部」)
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